2004.7.4
家内のために弁明
島 健二
「マイホームの顛末@」から「経済失調と贅沢三昧」まで、家庭生活のことに数々触れ
て来ました。好意的に読んでいただいて、色々と有り難いご意見もいただきました。
ただ、読み直してみて私自身は反省しています。私自身が「良い子」になっています。
ひたすら家内のために尽くした「良い夫」になっています。
これに反して、家内は「我が儘」で「贅沢」な病気のためとは云いながら「ジコチュー」
な女性になっています。
つとめて事実をありのままに書き綴ったつもりが、「自己保身的」な「言い訳じみた」
文章になっていたのに気付いて嫌気がさしました。
家内の名誉のために弁明しますが、家内は決してそんな女性ではありません。
勿論、その生き様は一般的、世間的な意味合いでは、決して「良妻賢母型」ではありま
せんでした。「我が儘」でもあり「贅沢」でもありましたが、決して「ジコチュー」で
はなく、むしろ私のこと、身辺の人を思いやる優しさに溢れた女性でした。自我を殺し
て妥協するタイプではなく、弁解もしないタイプでしたので、誤解されることも多かっ
たように思いますが、私はそれで良かったと考えています。
理解し合えて親しく付き合う人々には徹底的に尽くす人でした。
そして意外に思われるかも知れませんが、いつも男性を立てる古風な優しい女性でした。
自分よりも年少の男性であっても常に相手を立て、頼りにして甘える可愛い女性でした。
そのため、彼女が親しく付き合う友人には年下の男性が多くいました。
もちろんオープンな付き合いで、私とも親しい人達ばかりでした。
もちろん女性の友人達も数多くおりましたが、誰とでも親しく付き合うタイプではなく、
範囲を絞って濃い親しさで付き合うタイプだったように思います。
世間によくある「この人と親しくしておけば得だ」とか「好きになれないが社会的に偉
いひとだから……」というような付き合いは絶対にしない人でした。
私たちの生き様を理解して付き合ってくださる方たちとのお付き合いは長く続きました
し、その範囲内では誤解も少なかったと思っています。
ただ私たちの生活の始まりが関西地区であったこと、偶然のことながら家内の姉や父母
との関西地区での関わり合いが深くなったことと、東京へ戻ってから長年病気を患った
ことから、私の方の親戚との付き合いに義理を欠き勝ちだったことは事実で、誤解を受
けたのも事実です。この点は、家内の没後、私の母が私のために修復を図ってくれて、
正常に戻っています。
私が後になって気が付いて感心したことは、家内は自分の寿命を悟っていたのでしょう。
家内は最後の入院をする少し前から、自分の交際範囲の人たちに来ていただいたり、電
話や手紙でそれとなくお別れをしていたことです。
入院をしてからもごく親しい友人たちには、お願いして見舞いに来ていただき、一通り
お別れを済ませてから、私に向って「もうこれでいいわね、後は貴方とお姉様たち、そ
れに邦子(姪)と小峰さん(最後までお世話になった手伝いの人、親戚同様に付き合っ
ています)でお願いね……」と云いました。
自分の交際範囲、理解者たちを大切にした家内らしい振る舞いでした。
私に対しては、先生から「あと一週間程度……」と宣告された日に、私が何も云わない
のに、二人だけの時にジッと顔を見つめながら、「とうとうお別れね、長い間どうも有
り難う」と云いました。
「現在の肺炎を乗り切れば大丈夫だから……」と答えるのがやっとでした。
次の日曜日(7月4日)に13回忌の法要を営みます。
この手記をちょうどその頃「やっとこ、さっとこ」に乗せることを敬愛する増田さんに
話しましたら、「奥様に何よりの供養になるよ」と言ってくれました。
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