2004.6.5

マイホームの顛末A


                                                                 島 健二

相続に際して、私は姉や兄とも相談して、相続した土地の財産価値や将来の土地売却の

際のことを考えて、「もう1棟建築確認が下りるようにするにはどうしたら良いか?」

を区役所に尋ねました。

答えは、『裏側の環七へ通じる私道(所有権はその私道の両側の人たち)に接触するよ

うな土地にすれば「確認」が下せる(「私道」の所有権はなくて良い)』ということで

した。そこで兄や姉の了解を得て、その線に沿った土地の分割相続をして、登記をも済

ませ、また区役所に建築確認の問題を持ち出しました。

その結果は「もう出来上がって3年間も住んでいる家を今更確認は出来ない、建築確認

はあくまでも建築前の確認申請に対してするものだ」という趣旨でした。

つまり、「私達のマイ・ホームはあくまで「モグリ」のままで、ただし取り壊し命令は

出さず、黙認する」というステイタスは変更されないということです。

ただ将来家を取り壊して建築し直す場合とか、土地を売却した時に新たな建築申請が出

れば確認するということでした。


これでは私や家内のモヤモヤは解決しません。

特に家内の不満はもはやノイローゼの域に達して来たのです。

これまで「環七へ通じる私道」を事実上通行させてもらっていましたし、一応両側の人

たちに挨拶しておいた方が良いと考えて、「今般父が亡くなって、私と母がこの土地を

相続したこと、(相続税節減のため、配偶者控除を活用する目的で姉が相続する土地を

母が相続することにしました)私達は今後も主としてこちらの道を通行させて頂きたい」

との2点を了解を求める意味で、ビール券を持って挨拶に廻りました。


将来タイミングを見て私道持分を得る含みを持たせたつもりでしたが、ハッキリ云わな

かったのがいけなかったのです。

翌朝、早くから騒がしいので、出てみたら何と環七へ通じる通用口に頑丈な柵を作って

塞がれてしまったのです。

そして十数軒を代表する2軒の人達が来訪されてビール券を突き返されたのです。

招じ入れて冷静に理由を尋ねたところ、

「専用通路があるのだから、そちらを通ればいい」の一点張りです。

折を見て私道持分を得られるように折衝するつもりだったことを説明しても、「そんな

交渉には応じられない」と頑強です。

従来から時々は通行させてもらっていましたし、家内などはその通路に面した美容院を

利用していたのにです。

ただ直ぐ隣家のお年寄りがおられる家からのメッセージとして、「空襲で罹災した際に、

島さんの地所内に避難させていただいたので、個人的には閉鎖には反対だが、大勢に従

う」旨のコメントがありましたが、結局は物別れになってしまい、これが家内のノイロ

ーゼを決定的にしてしまいました。


悪いことは続くもので、前から予定していたことですが、同じ地所内の姉の家の建て直

しが本決まりになり、姉達一家は近所(三軒茶屋)に仮住まいをして、古い家の取り壊

しが始まりました。専業主婦の家内にして見れば、ただ一人「モグリの家」に閉じ込め

られ、隣りは取り壊し工事、裏への通用口は塞がれて、極端な閉塞状況に置かれたわけ

です。間が悪いことに、私は仕事が変わることになり、その準備のために忙しく、連日

帰宅が遅くなる状況でした。


前からクリニック通いをしていたノイローゼは急速に悪化して、とうとうJ病院の精神

神経科に入院する羽目となりました。

入院治療の結果は担当医師も「優等生です」というほどの回復ぶりで、ほぼ正常に戻っ

たのですが、「自己を制御する能力が損なわれているので、周囲の人々が注意して下さ

い」というコメント付きでした。

これが仲々大変なことで、他人に要求できることではなく、結局は私一人がすべてカバ

ーすることになります。おまけに退院後、家内は車椅子の生活となりました。

リハビリ等の理学療法も熱心にしましたし、鍼灸の治療も随分しましたが、良くなりま

せん。家内は諦めずに随分長い間松葉杖歩行やつかまり歩きと努力を続けましたが、膵

嚢胞と診断された消化器疾患でまた長期間入院したのをキッカケに自力歩行の望みをな

くしてしまいました。無理もないことです。


このように、紆余曲折がありましたが、最初の入院、退院のあと、元気な時も具合が悪

い時も含めて、家内は自力歩行が出来ない、そして精神的に自己制御が利かない状態な

がら15年間生きました。

ただし、ケチの付いた「モグリのマイ・ホーム」は売却して、(社長の特別のご好意で、

会社が買い上げてくれました……今でも空き地のままです)

このシルバーヴィラに入居し、家内はこの15年のうち12年を此処で過して平成4年

に他界しました。その間色々なことがありました。

勿論苦しいこと辛いことばかりではなく、家と土地を処分して、このシルバーヴィラに

入居したわけですから、税金を支払ってもかなりの金額が残りましたので、随分身分不

相応な贅沢もしましたし、家内が楽しめるようにエンジョイもしました。

しかし自己の感情を制御できないことから、岩城祐子先生に随分ご迷惑をお掛けしまし

たが、其の都度祐子先生が優しくカバーして下さいましたことに感謝しております。

私自身の心身が草臥れ果てておりましたし、家内も闘病生活に疲れ果てていたのでしょ

う。家内を見送った日、私は遺体に向ってつぶやきました。

「安らかに眠って下さい。お互いにやっと楽になれたね……」


私が「家庭の事情」と度々触れたのは、この15年間プラスそれ以前の数年の看病・

介護に私自身の身も心も財力もすり減らした期間のことを意味するのです。

本当に色々な事がありました。身分不相応にお金も使い果たしましたが、私は全く後悔

はしていません。家内には出来るだけのことをしたつもりでおりますし、私自身は決し

て贅沢ではありませんし、物欲も金銭欲も余りない性分です。

贅沢に楽しめた一時期があるだけで十分です。老後を心静かに暮らせれば十分と思って

います。年金が問題になっている折から、貰える年金が減ったりなくなったりしては困

りますが……。


家内の没後今年で十三回忌を迎えますし、私ももう八十才に手が届くところまで来まし

た。まだ時間が残されている限り頑張る気はありますが、人生の終末期を間近に迎えて、

今は全ての出来事を過去の1ページとして、この自分史に書き残す気にもなりました。

この間に私を支えて下さった岩城祐子先生をはじめ友人達、母をはじめとする身近な人

たちに感謝する気持で一杯です。

「死なない内は楽しもう、周囲の人に感謝して、何か役立つことをしよう、苦しいこと、

悲しいことは笑い飛ばそう」をモットーに、自分自身に気合を入れて頑張っているつも

りです。これが「モグリのマイ・ホーム」の顛末です。

なお家内は、精神神経系統の病気とは関係なく、食道癌で他界しました。

この顛末についても稿を改めて書くことにします。
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