2004.2.18

友人たち

                                                               島  健二


中学の友人たちには、日頃付き合っている人たちはいません。

そのわけは、私達の府立六中では1学年6クラス編制で、毎年クラス替えが原則でし

た。このため300人近い同学年の学友のうち、かなり多くの人たちと互いに懐かし

む間柄ですが、誰といつ同じクラスだったのか覚えていないことになり、同学年会な

どで顔をあわせると「君とはいつ一緒だったかな?」と云うのが挨拶みたいになって

います。と云うことは「付き合いの範囲は広いが度合いは浅い」と云うことになりま

すし、時期的にも昭和13年から18年までですから、もろに戦時中の影響を受けて

いるし、さらに高校時代とは異なり、まだ大人ではなかったためか、それらの悪条件

を乗り越えての深い付き合いが生まれ難かったためかと思います。


それでも、逢えば懐かしいと云う気持は強いので、前にも書きましたように百目鬼さ

んのご尽力で毎年6月17日に同年会が開かれるのが楽しみで、必ず参加するように

しています。百目鬼さんのご尽力がなければ、バラバラでまとまりがなく、付き合い

もない状態になるに違いありません。

この会合も参加者が年々減って行くのは淋しい限りですが、お互いに年をとって行く

ので仕方ないことですが、幸い百目鬼さんは「生きている限り幹事としてまとめて行

く」と言ってくれているので、私も健康に気を配って出来るだけ長く参加したいと思

っています。


付き合いが続き、終世の友となっているのは矢張り高校以上の友人達です。

先に記しました大学時代のアルバイト、進駐米軍検閲機関CCD時代にも、仕事を通

じて、またダンス、観劇、映画鑑賞等の文化活動を通じて親しくなった友人たちも何

人かいましたが、1年ちょっとの短期間だったのと、別々に本格的な就職をして離れ

離れになると、だんだんに疎遠になってしまい、結局は静高時代の友人たちと、大学

時代に前述した事情で親しくなった都立高校の友人、それに就職先(安田火災海上保

険KK…現在の損保ジャパン)で長年の間仕事の上でも、個人的にも苦楽を共にした

仲間たちとの交際が続いているわけです。


「徳さん」

高校の友人たちでしばしば逢う機会があるのは、前述の「チョーペン君」の他に「徳

さん」がいます。

「徳さん」とは静高時代にも「お神酒徳利」のようによく連れ立って静岡の街を歩き

ました。彼は無類の読書好きで、徒歩で30分ほど離れた街中にある書店に新刊書を

見に頻繁に通いました。その都度私を誘うのです。

私も彼ほどではありませんでしたが読書好きで、彼とは話が合うので色々と人生を語

り合いながら往復1時間を歩くのが楽しく、常に同行したものです。

私は東京育ちで官吏(裁判官)の息子、彼は千葉県の銚子の出で旅館の息子、生まれ

育った環境が違うのが却って互いに啓発し合えたのかも知れません。ちなみに、「さ

つまいも」の稿で千葉の銚子の友人と記したのはこの「徳さん」のことです。


「徳さん」は、N化学で社長から会長へと上り詰めた人ですが、面白いご縁としては、

このシルバーヴィラの坂本事務長の上司だったそうで、よく知っているとのことです。

「徳さん」もクラス会の名幹事役だったのですが、2ヶ月ほど前に電話をしたとき、

「脳梗塞を患って現在自宅で静養中」と言っていました。

私も脳梗塞の経験者ですから、聴いた様子では多分大丈夫とは思いますが、電話をか

けてその後の様子を聞くのが何か怖くて、気になりながら電話をしていません。

「徳さん」が病気のため、このところ静高のクラス会は開催されていません。


「ねこ君」

次には「ねこ」君です。

その愛嬌ある風貌から「猫」を連想させるとして名付けられたあだ名ですが、彼も私

とはウマの合う間柄で、特に大学時代に同じ経済学部でしたし、また自宅が高崎であ

るため、一時下宿が見つからず、世田谷野沢の私の家にもいたことがあり、その後私

の家から徒歩で3分くらいのところに下宿を見つけて住んでいたこともあって、一番

行動を共にした友人です。

現在は少し健康を害していて、あまり逢えませんが、電話や葉書などで消息を知らせ

あっています。


「O君」

あとは時々開かれるクラス会や昼食会に出席する友人たちです。

出席者は大体決まった顔ぶれで、10名内外でしょうか。

会社関係は前述した都立高校出身のO君が現存する唯一無二の親友となってしまいま

した。あと3人「ジンベイさん」「太さん」「末さん」というカラオケ仲間として月

に1回ご一緒する方々がいますが、勿論それぞれ親しい間柄ですが、頻繁に逢う仲間

となったのは最近で、O君とは付き合いの歴史が違います。

O君は何度もご紹介したように学生時代からの付き合いですし、安田火災に入社して

からの私の交友は、O君と故人となってしまった「りんさま」と私の3人の結びつき

に終始しているのです。3人では麻雀が出来ないので、誰かもう1人が加わって麻雀

仲間を形成していたわけです。

始めは「ゆのさん」、この人は現存しますが、奥さんが病気でその介護のため付き合

わなくなりました。そのあと仲間に加わった「ぼんさん」は故人となりました。

「りんさま」が3年前に全く突然に亡くなり、ショックを受けていたところに、「り

んさま」の葬儀のときにはマメマメしく世話を焼いていた「ぼんさん」が、その1年

足らず後に癌で亡くなってしまったのです。肝臓癌でした。

つまり1年足らずの間に4人の麻雀仲間が2人になってしまったのです。

O君が唯一無二の親友と表現したのにはこんな背景があったのです。

「りんさま」は色々な意味で私やO君の「生涯の友」だったのです。

この人の急逝は一大ショックでした。

このことに関しては稿を改めて記したいと思います。
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