2004.1.19


こぼれ話 “先生方点描”


                                                         島  健 二   


静高時代には、色々な友達もいましたが、色々な先生方もおられました。

今回は、印象深かった何人かの先生方の思い出をご紹介したいと思います。

勿論私が受けた印象ですから、友人たちの中には異なる印象を持っておられる方も

あるかも知れませんので、予めお断りしておきます。なお先生方の呼び名は、我々

が用いていたあだ名ですが、イコール本名の方もいらっしゃいます。


“サイトウさん”

私達のクラスの担任をしておられましたドイツ語の先生です。

謹厳実直ながら極めて温厚で、ユーモアも解されるスケールの大きさを感じる素晴

らしい先生でした。この先生に悪い印象を持つ友人はいないのではないでしょうか?

学生時代からテニスの選手だったそうです。ある時勤労動員で農村へ行った時のこ

とでした。夜はお寺の大広間で雑魚寝をした時のことです。

引率のサイトウさんも同じ広間に寝たのですが、翌朝「君たち夜中はすごいゾ、あ

っちでブーッ、こっちでブーッ、大合奏だ。やっぱり若いんだなア。威勢がいいよ」

と豪快に笑って言われました。ザックバランな先生です。クラスの全員を公平に愛

して下さって、暖かい笑顔が今でも目に浮びます。


“リク”


教頭先生です。

栗を逆さまにしたようなお顔から付いたあだ名だと思います。

丸顔ですが、アゴの先が尖ったお顔でした。

謹厳実直はいいのですが、それだけという感じで、我々若い学生のちょっとしたい

たずらも許してくれず、怖い先生でした。

寮内を静かに隈なく巡回して、賑やかに談笑したり、ふざけていたりすると、その

場では何も言わず、後に呼び出されて叱られるのです。

理由はただ一つ。「真面目に勉強している者の妨げになる」ということで、言い訳

は聞いてもらえません。前出の「チョーペン」君が訪ねて来て、「栗まん」君と3

人で、お茶を飲みながら声高に談笑していたのを、「3人は酒を飲んで騒いでいた」

と叱られました。

言い訳は聞きませんし、現場ではないので、証拠立てもできません。不愉快でした。

前記のお話をこの先生に当てはめたら「あまり大きな音を立てたら真面目に寝てい

る者の妨げになります」と言いそうです。…マサカ…。


“イナムラ”

英語の先生です。

温厚な紳士という風貌ですが、皮肉たっぷりな厭味がありました。

発奮を促すつもりでしょうが、試験のあとで、一人一人の点数を発表し、ご自分の

感想を述べられるのです。大きなお世話だと思いました。

集団チフス事件が起きて、たまたま風邪を引いていた私が寮内の静養室に3週間も

隔離されて、ドイツ語の遅れを取り戻すために、比較的に自信があった英語を手抜

きして学期末試験を受けた結果、皮肉にもドイツ語は甲、英語は丙、他の科目はみ

な乙という成績になった時、「島、55点。ドイツ語に集中した結果でしょうから、

次回は70点くらいは取るでしょう」と云われてカチンと来ました。

次の学期末、少し英語に力を入れたら95点でした。

イナムラは「島。95点。私は70点くらいと予想しましたが、奮起したのでしょ

う。結構でした」と私の顔をジッと見たので、ウィンクしてやりました。


“モッチャン”

地理の先生です。

茫洋とした暖かみのある人で、捉えどころがない感じですが、好きな先生でした。

又試験の話になりますが、「国境」というタイトルで自由に書けということでした。

特に地理学的に書く材料が頭にありませんでしたので、子供の時に漠然と「国境」

について想像していたのを思い出して、「子供の頃に想像した」という書き出しで、

高い黒い塀が果てしなく続いていて、そのこちら側を日本の兵士たちが銃をかつい

で黙々と警備している。塀の向う側は見えないが、確かにロシア兵たちが同じよう

に銃をかついで黙々と警備している気配が分かる」というような取り止めのないこ

とを書いたら褒められました。粋な先生だと思いました。


“コンタイ”

学校教練の配属将校です。

厳しく頑固な軍人で、ビシビシとしごかれるので、皆嫌っていましたが、案外単純

なところがある軍人さんで、「栗まん」君は小柄ですが均整のとれたいい身体で、

運動神経も良く、戦場運動部に所属したりして軍隊向きでしたし、たまたまラッパ

が吹けるので、進軍ラッパを吹いたりして、コンタイのお気に入りでした。

私も「栗まん」君と仲良しですし、またコンタイの軍人的な発想にもあまり逆らわ

なかったので、割合に優遇されました。ただし、「栗まん」君とは違って、特甲幹

(特別甲種幹部候補生)を受験するようには勧められませんでしたが、私にはその

気が全くなかったので、かえって幸いでした。

「栗まん」君は特甲幹試験を受けて合格しましたが、間もなく終戦となりましたの

で、職業軍人にはならずに済み、大学卒業は2年ほど遅れましたが、商社マンの道

を歩むこととなりました。                         目次へ