2004.1.8

こぼれ話 “知り合い”


                                                                    島  健二

自伝風に昔話を書いてきましたが、その間、書くのを省略した事柄や、書き漏らした出来


事などが幾つかあります。それらのこぼれ話を思い出すままに、順不同でご紹介したいと

思います。


静高の寮は2人1部屋となっています。部屋割りは何の変哲もないアイウエオ順で、私が

シマですから同室者はセト君でした。この瀬戸君は今でも健在で、年賀状交換などしてい

ますが、久しく逢っていません。お互いに若かりしその当時の瀬戸君は、丸い目鼻立ちに

よく日に焼けた艶の良い健康色で、そのため「栗まん」というあだ名がついていました。

今回はこの「栗まん」氏のお話ではないのですが、この「栗まん」氏は子供の頃、朝鮮で

過したことがあるそうです。


今回のお話の主人公「チョーペン」君は、朝鮮の京城中学から静高へと進学して来た人で

、そんな縁からよく「栗まん」君のところへ遊びに来たのです。従って、同室の私とも短

期間で親しくなりました。彼は不思議な人で、「ヨーいるね」と大きな声で言いながら、

いつも廊下に面した部屋の窓から乗り越えるようにして入って、帰るときは正規の出入口

から帰って行きました。本当に変な人です。


「チョーペン」君は、誰とでもすぐに親しめるザックバランな人柄で、雄弁でかつ実行力

もある好青年でしたが、難を云えば少しオッチョコチョイで粗野かつ強引な性格でした。

特異な風貌と身なりを構わない(悪く云えば薄汚い)外見から、「チョーペン」というあ

だ名がついていました。その意味は「朝鮮ルンペン」なのです。ご当人はこんなあだ名を

つけられても怒るでもなく、このあだ名を逆用して「オレは哲学書をよく読むので、クラ

スの奴らが尊敬して、ショーペンハウエルと呼ぶんだ。それが短縮され、なまって「チョ

ーペン」になったんだよ」と他のクラスの人たちに言っていたようです。

(註 ショーペンハウエルは、19世紀前半のドイツの著名な大哲学者で、有名なデカン

ショ節は、デカルト、カント、ショーペンハウエルの三人の哲学者の名前を組み合わせた

ものと云われます)


それはともかく、今回のお話は、勤労動員で農作業に行った時のお話です。戦時下の、食

糧も乏しく、娯楽もなく、動員されて黙々とただ働いて毎日を送るしかない当時のような

状勢では、思い出に残る逸話もそうしたギリギリの生活に密着した笑い話が多くなるので

、とかくバッチイ話が出て来るのをお許し頂きたいと思います。


私たち数十名の若者を働き手として受け入れた農村では、そのために屋外に仮設のトイレ

を設置してくれました。囲いと扉はありますが、急ごしらえの粗末なもの1棟で、文字通

り1人で満員です。内部の作りは、木製の床に長方形の穴が1個あいているだけです。


数十名に1棟ですから、朝の時間には長蛇の列が出来るのは自然の理です。ある朝のこと

でした。行列に加わって相当な時間我慢をして、やっと私の順番が来て、個室に閉じこも

り、用を足そうとした時でした。扉をドンドンドンと叩く人がいます。あまり内外で言葉

を交わすような場所ではありませんので、黙っていましたが、外から大きな声で私の名前

を呼び、「どうにも我慢できないから、入れてくれ」と叫びます。声で「チョーペン」君

だとすぐに分かりました。私より数人後に並んでいた筈です。親しくしているからと云っ

ても個室内同居は迷惑ですから、返事をしなかったのですが、「入るぞ」と強引に扉を開

けて入って来ました。私と背中あわせにしゃがむと(長方形の穴が1個あるだけのトイレ

ですから、そういう姿勢をとるより他に仕様がなかったのです)、高らかに音をたてなが

ら用を足しました。用を済ませると「あァ、サッパリした。有り難う」と出て行きました

。「チョーペン」君はサッパリしたかも知れませんが、私の方は、あっけにとられて、出

るものも出なくなってしまいました。あまりネバるわけにも行かず、中途半端で次の人に

個室を譲りましたが、昼過ぎまでスッキリしない状態で農作業に励まねばなりませんでし

た。


「チョーペン」君と私の仲は、こんな臭い「シリアイ」なので、クラス会などで顔を合わ

せるたびに、私はそのことを思い出してクスグッタイ気がするのですが、「チョーペン」

君はそんなことはとっくに忘れているようです。彼は文字通りに屈託のない男なのです。

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