2003.10.2
忘れられる誕生日

                                                               島  健二

今日9月15日、私は78回目の誕生日を迎えました。まだまだ元気です。これも長い間この老人ホーム、シルバーヴィラ向山にいるお蔭かと思います。病弱だった家内が、車椅子の生活になったのを機会に、家と土地を処分して、此処へ入居したのが昭和56年9月、私が56才の時でした。シルバーヴィラ向山がオープンして間もなくで、入居者の数も少なかったのですが、入居者の平均年令は80才前後でしたでしょう。当然私たちは例外的に若く、事あるごとに「あなた方はまだお若いから……」と云われました。

あれからちょうど丸22年が過ぎ、この間家内も故人となり、私の一人暮らしも11年を経過しましたが、一人になってからお年寄り達との接触の機会が多くなり、毎日のように「あなたはまだお若いから……」と云われ続けています。それというのも入居者の平均年令が年々高くなる傾向にあるようで、今では平均年令86才くらいと聞いています。従って私よりも若い人が入居するのは極めて稀で、私は入居23年目を迎えてまだまだ若手なのです。

人間が単純に出来ているせいか、「あなたはまだお若いから……」といつも云われるとその気になってしまい、年寄りになったという実感が沸かないのです。足腰の衰えはありますが、気分的にはまだ若いつもりになっています。 それはそれとして、私の誕生日、9月15日は私に断りもなく「敬老の日」となってしまいました。当初は「誕生日を国中で祝ってくれるからいいや」と思ったのですが、そのうちに迷惑なことになったのです。「敬老の日」が定着するに従って老人達がこの日を自分達の長寿を祝ってもらう日と思い込んでしまったのです。私の周囲でも9月15日が私の誕生日ということを忘れてしまいました。

このシルバーヴィラでは誕生日を大切にしていますので、施設長から小さな花束が届きますが、それだけです。この練馬でも14日、15日は、八幡様の秋祭りで、お祭の行事としてこのシルバーヴィラでバザーが催されたり、町内のカラオケ大会が行われたり、色々と賑やかですが、私の誕生日であることを誰も知りません。私が再三自分でPRしても、皆聞き流してしまい、『「敬老の日」の焼き鳥がおいしかった』という風になってしまうのです。

数年前に母がまだ元気だった頃に、甥たちが母の長寿を祝う敬老の祝に集まったことがありました。甥たちは私の誕生日であることも覚えていてくれたので、母にプレゼントをした後で、私にも花束をくれました。ところが、母は、皆が自分の「敬老の日」の祝に集まってくれたと思い込んでいたので、「アラどうしてあなたがお花をもらうの?」と云ったのです。私はついに生みの母にも誕生日を忘れられてしまったのです。

このシルバーヴィラで親しくしていただいた先輩(昨年他界されました)にその話をしましたところ、「私なんか一度も誕生日祝をしてもらったことがないわ」と云われました。この方のお誕生日は「一月一日」だったのです。
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