2003.5.28
今様徒然草


                                          島  健二さんより

                                                        

 つれづれなるままに、と云っても兼好法師の時代とは異なり、この騒がしい現代は
我々のようなリタイア後のペア族(洋梨―用なし)にとっても何かと忙しくバタバタ
として落ち着かない日常で、とても兼好法師のように、風流に雅やかな美文を悠長に
書き連ねる余裕はない……。
と言うのは言い訳かもしれない。それならばと兼好法師のように、
心に浮かぶよしなしごとをソコハカとなく書き綴ってみることにした。


一段
 好ましきこと、男の猛々しからざる強さ、いさぎよさ、女の慎ましさ、淑やかさ。
今の世には絶えて久しく、男は頼りなく、いじましく、女は図々しく、粗野に振る舞
う。 疎ましきこと、男女に共通する我が儘勝手、はた迷惑、直ぐキレル幼児性。
この国の人の長所は頭脳の良さと勤勉性。短所は付和雷同性と小賢しさ。付和雷同
性は発足当初の埒外な小泉人気などに見られ、また小賢しさは義務負担なき権利のみ
の主張として表われる。 
                        

二段 (ことのは)
 言葉は世の移り変わりと共に変わるもの、これはやむを得ぬこととは思えども、余りにも乱れて聞き苦しく、嘆かわしき限りなり。
徒らなる省略言葉、『るっせーな』『ざけんなヨ』『マジかヨ?』などおぞましし。
ら抜き言葉、『見れる』『着れる』『食べれる』などなど。
敬語や丁寧語を取り違えたるおかしげなり。
『ご存知ですか?』と問われて『ご存知です』と答え、『召し上がれ』と言うべきを『頂いて下さい』、『そろそろおいとまします』を『そろそろお邪魔します』など様々あり。
言葉の成り立ちを知らぬための間違いか、
『せざる・おえない』『いわざる・おえない』と発音するには耳ムズ痒し。
NHKのアナウンサーにも居りたり。
過ぐる日某テレビの女性キャスター、石原都知事の発言に関連して、『もののふとは武士のことなんですねえ、もののけと間違えないようにしなきゃあ』とのたまいしに呆れたり。
新語というか造語というか、『さらなる』とか『おとしめる』などと聞く。
これらの言い回しは昔はなかったと思うは誤りか?
これも新語か? テレビの料理番組などで『炒まったら』との言い回し、耳に新らし。
運動選手などに流行する言い回しとして、『感動を与えるプレーをしたい』と聞く。
何やら感動を強制されるかに聞こゆるはひがみか?


三段(日本人の美学)
 大相撲の人気下降気味と聞き、心に浮かび来るあれこれは・・・
相撲は格闘技にはあれど歌舞伎などと同じく、様式美に富むスポーツ・ショーとして、一般大衆に育まれしものにて、外観的様式美のほか、日本人の美学に沿いし物語性を持つこと肝要なり。
即ち、勧善懲悪、柔良く剛を制すなどをいう。
牛若丸が五条大橋上にて弁慶を翻弄するを好む日本人は、美形で小柄な力士が、敵役の大型力士を倒すのに快哉を叫び、これはまた勧善懲悪にも通ぜしに、近時、外国系を含む大型力士が輩出し、体力の差が大き過ぎて、小柄力士の技が通用し難く、大型力士の押し出し、寄り切り等単純な決まり手が多くなりしため、人気下降するに至りしか?
また勝負にこだわるあまり、立会いの駆け引きやまわしの締め方など、作戦の範囲内を超えた狡猾なやり方が目立ち、相手の気合を削ぐための「待った」や投げ技を利き難くする「ゆるふん」が横行するは、「いさぎよさ」を好む日本人の美学に反するなり。
人気回復のためには、日本人の美学に配慮せし改善策こそ肝要なれ。


四段(心卑しき人)
 人の心様は顔に顕わるると云う。近時しばしば新聞紙上をにぎわす贈収賄、汚職、詐欺、横領など、政界、官界、民間を問わず、これらの罪を犯せし者達の顔写真を見るに、顔立ちの良し悪しを問わず、いずれも心根の卑しさ顔に顕われたり。これらは所謂キャリア・ノンキャリアを問わず、学識、能力の高さ・低さを問わず、また生い育ちたる家庭の豊かさ・貧しさを問わず、一様に心根卑しきさま容貌に顕わるるは不思議なり。
思うに、生い育ちし環境の貧富や、後に身に付けたる教養などとは関わりなく、心根の卑しさはしつけの段階にて定まるものか?
経済的に貧しくとも心清きしつけを受くれば心清く育ち、また豊かなる環境でも心貧しきしつけを受くれば心根卑しく育つなり。
総じて、財を成す者には吝嗇なる者多しと聞く。
節約あらずんば財を成すこと困難とは思えども、吝嗇と云わるるは口惜しきことなり。
心根卑しからずに財を成すはまこと難しきことと思うは、財を成すことあたわざる者の言い訳なるか。


五段(あらまほしきこと)
 徒然草第一段の後段に、「人はかたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ」以下、人の望ましきありかたについての記述があるが、これは今の世にもそのまま通じること。
「物うち言いたる、聞きにくからず、愛嬌ありて、言葉多からぬこそ、飽かず向かはまほしけれ」・・・正にその通り。
「めでたしと見る人の心劣りせらるる本性見えんこそ、口惜しかるべけれ」・・・
立派な人と思った人が予期に反してくだらない本性を見せるのは誠に無念なことだ。
「しな・かたちこそ生まれつきたらめ、心はなどか、賢きより賢きにも、移さば移らざらん」・・・家柄・容貌は生まれつきにて致しかたないが、心はより良く向上させることができる。
「かたち・心ざまよき人も才なく成りぬれば、品下り、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるるこそ、本意なきわざなれ」・・・
容貌・気立てのよい人も学識がなければ、身分が低く、憎らしげな人と入り交じって、念頭にも置かれずに圧倒されるのは、まことに遺憾な次第である。
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