2007.4.28
そよ風たより
増田様
突然のメール、お許しください。 1年ほど前、満州のことをネットで調べていて、その後も増田さんの文を、
たびたび拝見させて頂いておりました。
私の祖母が、以前安東に住んでおりました。(奇なる縁で、今は静岡の安東というところに住んでいます。)
祖母は1925年生まれで、ありがたいことに80も越えました。
安東県のことを、とても懐かしがるのですが、持っていた写真などは戦争や、静岡大火等で焼けてしまい、
また図書館でもあまり資料もなく、私も調べる術をインターネットで探すしか思いつかず、増田さんの文に行き
当たりました。以前の文を、プリントアウトして祖母に送りましたところ、大変な喜び様で、当時の様々な記憶
が蘇ったようです。本当にありがとうございます。
もしかしたら、増田さんのお姉さまと年が近かったのでは、と言っております。
朝日小学校に通っていたようです。
朝日小学校は駅の向こう側ですね?
大和小学校とは離れていたと聞きました。大和小学校の隣には、赤レンガの女学校があったなど、祖母の記憶
をたよりに、簡単な地図を描いてみたのですが、どこかに安東県の当時の地図はないものか…と思っています。
安東にいた頃は、旅館の娘だったそうで、旅館の名まえは『富久須美』。姓は「鈴木」と申します。
養父母が亡くなり、17歳で天涯孤独の身となり、日本に戻ってきておりましたので、引き揚げの惨事には巻き
込まれなかったようです。
私は幼い頃から祖母の話を聞くのが大好きで、鴨緑江のスケートや、その帰りに食べた水餃子、また寒い日の
学校行事の鎮江山でのウサギ追いなど、何度もせがんで聞きました。
駅が近かったらしく、汽車が入ると「ガランガラン」と鉦の音が響き、税関調査のために60分停車したり…
など、私には空想の中でしか見えませんが、増田さんや祖母のように、海の向こうに大きな記憶を持ってしま
った身としては、募る思いはひとかたならず、大きかろうと思います。
2007年2月24日付けの文章を、今日拝見いたしまして、メールせずにはいられず慌てて書きました。
大和小学校の詳細となっては、お力になれるか分かりませんが、安東県は祖母にとっても懐かしい思い出のところ
なので、何か一端をお手伝いできたら、また、他にも何か思い出をお話頂ければ…と思いました。
内藤由紀
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