2015.4.7
玉砕の島々
今度天皇皇后両陛下がペリリュー島にお出でになります。 この島の名前今でも覚えています。
あの頃日本軍が玉砕した島はほかにも沢山ありました。
アリューシャン列島のアッツ島の名前は最初の玉砕の島として生々しく覚えています。
刃も凍る北海の御楯となりて二千四士 精鋭こぞるアッツ島 山崎大佐指揮を執る という歌ができていました。
南ではマキン・タラワ、クエゼリン・ルオットなどという島の名前が思い出されます。
確かルオット島では宮様から臣籍に降下された(宮様の家に生まれた方が成人して皇族から華族になられた)
音羽侯爵が海軍軍人として戦死なさったと思います。
ほかに離島ではなく陸地でもニューギニアなどの各地で守備隊が玉砕しています。
後ではサイパン・テニアンの両島。 グアム島(日本が占領した際に大宮島と名付けられていたと思います)
グアム島には「我太平洋の防波堤とならん」と洞窟陣地の入り口に記してあった写真を見た覚えがあります。
さらに硫黄島。 そして最後は沖縄。
あの頃は毎度のように大本営発表の最初に「海ゆかば」が流れ、またかと悲しい思いがしました。
考えてみると今日の日本の繁栄の前には、おびただしい先輩の血が流れています。文字通り水つく屍、草むす
屍となって今でも故郷を遠く離れた海山に眠っておられる方が数限りなくおられます。
8月15日に戦争が終わらなかったら、私も間違いなく死んでいました。
それを思うと日本国の繁栄を後世まで維持しなければ、あのひと達に申し訳ないと思います。
今年は日本が平和国家になってから70年。あの頃若かった私も86才になってしまいました。
いろいろなことを書き残しておきたいと思って日記を書きました。
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