2009.1.10
日本の農林業
増田 次郎
昔から士農工商という言葉がありました。士農工商は封建時代の階級でした。
明治時代に四民平等という言葉があったようです。私の子供の頃、戦前は私の家の戸籍には「平民」と書い
てありました。「俺の家は士族だぞ」と何となく自慢する友達がいました。
封建時代の階級制度の話をするつもりはありません。しかし封建時代といえでも「農は国の元なり」という
言葉があったくらいで、「百石の知行とり」などと殿様から米をいくら貰うかが、侍のステータスを表わす
スケールだったうです。しかし農を工商の上に置きながら、実は名ばかりで「水飲み百姓」「どん百姓」な
どの蔑称があり、特に「小作農」は最下層とみなされ「地主」の家に行けば、人間扱いされなかったようです。
昭和20年の敗戦で「農地解放」が行われ、農地は全て農民の財産になり、地主はその特権的な地位を失い
ました。私の家は農民ではなく、サラリーマンでしたのでそのあたりの背景については無知です。
ただ旧地主の人たちの話を聞き、昔話として聞き流していました。
戦後60年以上を経て、日本の農林業はすっかり足腰が衰えたように思います。日本は工業国家になり、それ
を支える商社・金融機関とともに工業が国の経済の柱になりました。現在日本の人口の大部分は「工商」に従
事していると思います。しかしこの「工商」は、言うまでもないことですが江戸時代の姿とは全く違って先進
国型の集約化、近代化されたものになっています。
私は農林業の地位が低下したのは、近代化をしなかったからだと思います。
自作農一人一人がそれぞれ自分の農地を持っていて、そこを昔ながらに近い形で耕作していたのでは、いわば
零細農業の形でとどまっていたのでは、海外の大規模な農業に対抗することは困難だと思います。
今食料の自給率が低下している、このままでは食糧難が来たら大変なことになると叫ばれています。それは今
の農業に関わる制度に起因しているのではないでしょうか。
江戸時代には村に鍛冶屋さんがあり、鎌や鍬など農機具を親父さんがつくっていました。
現在日本が自動車の生産をあのような形で続けていたら、ビッグスリーの経営はさぞ安泰だったでしょう。
日本には自動車産業など存在しているわけがありません。
今の日本で昔の地主が復活して、また小作農を虐げるとお考えですか。あり得ないことだと私は思います。
今こそ農業の自由化を行い、近代化した大規模な農業で新規雇用をつくるべきだと思います。
山の中の農地は、農民の高齢化で耕作が放棄されつつあるそうです。今放置すれば、日本の山間地は荒れ放
題になります。商社、食品メーカー、外食産業など国内農業に意欲を持つ会社は沢山あると思います。
高齢化した農家から土地を買収することを認め、また農家が自分の農地を現物出資し自分がその経営に参画
するとともに、従業員として働ける道を開くことが必要だと思いますがいかがでしょうか。
農業の労働は厳しいものだと聞いています。休日も余りないようです。田植えや稲刈りなど農作業のピーク
時には当然大企業の一員になることで、大規模な応援態勢ができ労働が楽になると思います。有給休暇のあ
る農業を実現できるのではないでしょうか。農林水産業の癌になっているのは、既得権を手放したくないお
役所と各種農林水産業団体、それと一部の代議士先生のような気がしてなりません。
本来同じ日本人がやっていることです。農林水産業も自動車産業と同じように世界第一流になれないわけが
ありません。一歩踏み出せば、素晴しい未来が開けると思います。
農林水産業が工業、商業と同じように近代産業に発展することは夢でないと思うのです。
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