2009.1.1
緊急不況対策



                                                                                増田 次郎


今この文章を書いているのは12月31日。平成20年も後3時間足らずで終わり、平成21年を迎えます。
 
平成20年は本当に大変な年でした。そして今もその大変が現在進行形でがっちり居座っています。言わずと知

れた世界的大不況です。


私のような年金生活者は、このような不況下にあっても生活に余り変わりがありません。今一番大変なのは派遣

社員、期間従業員などといった雇用条件が不安定な立場の方、さらには経営の安定性が低い中小企業、自営業者

の方々だと思います。今更言うまでもないことですが、給与生活者は給料が入らなくなったら直ちに暮らしが成

り立たなくなります。。

 
中越地方や、宮城・岩手地方は、ここ数年で何度も地震の被害を受けてきました。この地方では家屋が倒壊したり、

道路が破壊したり、田畑が埋まったり、大変な被害を受けられました。生活の基盤が完全に破壊された方もありま

した。命を失った方さえあります。今回の世界不況は地震の被害に似ているような気がします。

私には今回の不況が地震のように、前兆も余りなしに突如として襲ってきたような気がします。

地震ほどではないにせよ、最高利益を記録したばかりのトヨタ自動車が赤字に転落するなどと言う事態は誰にも

予想できなかったことではないでしょうか。

今回の不況は一般市民にとっては、地震または水害の類の天災地変に近いものだと思います。天災地変ではない

にせよ、同じような対処をしなければ、とても一般市民の生活を守ることはできないと思います。


地震で家を失った人々には、政府の手で避難所が設けられます。さらには炊き出しが行われ、いろいろな生活支

援が行われます。自衛隊が出動してお風呂のサービスまでして貰えるとう報道を聞きました。
 
不況で住むところを失った方がおられると新聞・テレビで報道されています。地震の被災者に対するのと同様、

こういう方々に住居を提供することを含め政府の力で生活支援の手を差し伸べることはできないものでしょうか。

 
終戦直後、海外工場から多数の社員が引き上げてきました。

このとき王子製紙は全員を内地工場で受入れ、一人も路頭に迷うものを出さなかったと聞きました。

後にこのとき外地工場からの引き揚げ者が、当時の中島社長に感謝状と碁盤をお礼に差し上げたという話を聞い

た覚えがあります。当時ワーク・シェアリングなどという言葉はありませんでしたが、人員を受入れるため仕事

を分け合ったのは素晴しいことだったと思います。
 
今の時代こそそれを考える必要があると思います。政府からも議会からも、経営者からも労働組合からもそういう

声が起こらないのは残念です。


私は一介の貧しい年金受給者です。私も僅かばかりの資産が、株式や投資信託の下落で目減りしました。

しかし国民全てが苦しいときにはお互いに助け合うべきだと思っています。

大晦日の夜NHKの教育テレビでベートーベンの交響曲第9番を聞いて、自分の幸せに気がつきました。

私にできることは何かを考え、この拙文を書いた次第です。

皆様と一緒にこの世界恐慌を乗り越えるために、ともに自分たちにできることをやり、全ての方と手を携えてこ

の難局を乗り越えるため微力を尽くしたいと思います。


この拙文がお目にとまる頃は、ご家族お揃いで新年をお迎えになっておられると思います。

今年をよい年にするため、ご一緒に考えて頂ければ幸いに存じます。

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