2008.11.28
世論のいかがわしさ
 

                                         増田 次郎


近頃世論(よろん)調査といって、コンピューターでランダムに発生させた電話番号に自動的に電話をかけて

集計するやり方の調査が、しばしば行われています。私のところにも先日電話があり回答しました。

しかしこのような調査の結果が政治を左右してよいものか、私は疑っております。
 
私の記憶にある昭和16年頃の日本国内の雰囲気を、記憶のままここでお伝えしようと思います。
 

当時日本国内には鬱積した空気がありました。中国大陸の戦線は膠着状態にあり、米国、英国などが中国を

応援し、ABCD包囲陣(Aはアメリカ、Bはブリテンすなわち英国、Cはチャイナすなわち中国、Dはダッ

チすなわちオランダ)により経済的に締め付けられ、閉塞気分が国民の間に充満していました。
 
中国は国内のかなりな部分を日本軍に占領されており、他国に応援を求めるのは当然です。

しかし日本の一般国民にとっては、この状況は耐え難いものでありました。このため「米英討つべし」という

声がかなり多くの国民の間に充満していました。
 
昭和16年12月8日の開戦の報道は、かなりの比率の日本国民に受入れられました。それが明治以来の大日

本帝国滅亡の始まりであることを憂えていたのは、国民のごく一部にとどまっていました。
 
世論というものは、必ずしも正しいものではありません。大衆はマスコミや一部政治家の扇動にはきわめて弱

いものです。

 

私が生まれる遙か前、日露戦争前後の話を私の聞き知った範囲でお伝え致します。

当時日本の世論は日露開戦止むなしと、開戦が一般国民に支持されていました。
 
その中にあって、日本の元勲、伊藤博文は「日本がロシアに勝てるわけがない」と開戦に猛反対したそうです。

開戦止むなしと説得されたとき、伊藤博文は「大陸の戦争で負けたなら、ロシアは山口県あたりに上陸してく

るだろう。私は元は長州藩の足軽である。昔の足軽に戻って下関で鉄砲を撃ち、国土を守るのだ」と悲愴な決

意を語ったといいます。
 
また大陸の戦闘で勝利を収め、日本海海戦でロシア艦隊をほとんど全滅させて、米国大統領の斡旋で講和会議

が開かれました。全権として会議に出席した小村寿太郎外相は、歓呼の声に送られて日本を出発しました。

伊藤博文は「講和会議を終わって帰ってくるときは、石をぶつけられるだろう。私は一人でも迎えに来るぞ」

といったそうです。講和の条件に不満だった国民は、暴動を起こして小村全権を迎えたといわれます。

一般国民の認識は、その程度で日本に戦争を続ける能力がなかったなど分かってはおりませんでした。

マスコミや、いわゆる有識者の認識もその程度のものだったのです。

 

マスコミは不偏不党であると自称しています。これは真っ赤な嘘です。

自分の信念に基づいて、記事論説を書くというのは報道人として当然の行動です。しかしそれは自分の立場を

明確にしてやるべきことです。署名なしで、いかにも自分だけが正しい記事を書いているように振る舞ったこ

とが、かつての太平洋戦争で国の行く道を間違った方向に向けました。

マスコミの誘導に素直に乗ってはいけません。自分の判断力の全てを使い、いかに行動すべきかを常に自ら考

えて下さい。


ついこの間、納豆ダイエットで皆さん見事に騙されたではありませんか。バナナ・ダイエットも怪しいものです。

いわゆる世論は大体間違っています。満場一致ほど怪しいことはありません。

あらゆることを疑って下さい。常に冷静に行動して下さい。歴史を知り、先人の失敗に学ぶことが必要です。

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