2008.10.
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老人から若い人たちに



                                                                           増田 次郎


近頃若い人たちの中に、社会に絶望して自殺したいと考え、死刑になることを期待して何の関係もない方

の生命を奪う事件を起こす人がいます。こういう人がどうして現われるのか、何とかしてこういう「自分

は社会から疎外されている」という考えを持つ方をなくしたいと考え、老人の考えを皆さんにお伝えした

いと思います。


私は昔、製紙会社の一技術者でした。物をつくる現場で毎日働いていました。

紙にももちろん必要な品質があります。製品の品質を向上しコストを引き下げるために、私も現役時代は

毎日懸命に働いていました。

これは何処のメーカーでも、何をつくっているメーカーでも、どのようなサービスを提供している会社で

も同じことだと思います。


お金が儲かりさえすれば、何をやってもよいという考えを持つ人がいます。振り込め詐欺で年寄りのお金

を奪い、遊興費に使っている人がいます。情けない人たちだなと思います。
 
たとえば食品産業のメーカーは、生活に最も欠かすことのできない食べ物をつくっておられます。

信用して食べられる食物がなければ人間は生きて行けません。このような生活必需品、または欠くことの

できないサービスを提供してくれる人がいなければ、われわれは生きて行くことができません。

お腹が空いてもお札は食べられません。


私の出身校の教授に和田先生という方がおられました。20年以上前に機械工学科のクラス会で先生のお

話を聞いたことがあります。

先生は「近頃機械工学科の学生は堕落しました。彼らは就職先として、地上げ屋(不動産会社のこと)、

金貸し(銀行)、株屋(証券会社)を選びたがる。情けない。しかし諸君、嘆くことはない。マスターを出た

連中は皆メーカーに行こうとする。日本の将来は安心です」と言っておられました。
 
もちろんこれは極論です。先生が嫌っておられたこれらの仕事も、経済活動を円滑に進めるためには必要

不可欠な仕事だと思います。ただ和田先生のように技術立国に夢を託して来られた方にとっては、儲かり

さえすればよい、給料さえ高ければよいという風潮は耐えられないことだったに違いありません。

地味なメーカーより先生のお嫌いな業種の方が給料がはるかに高い。それで学生が大学で学んだことを捨

て、こういう業種に飛び込んでしまうことに先生が耐えられない思いをされたことは、理解できます。

 
私も給料だけで仕事を選択することには賛成できません。「理系の学生がメーカーに入ったら、間違いな

く自分の望む仕事をさせて貰えるか?」といわれたら、もちろんそういう保証はないとしか言えません。

難しいところです。
 
ただ私がものつくりの技術者であることに誇りを持っていたことは確かです。


大分脱線してしまいました。私が皆さんに申し上げたいのは、ものつくりをもっと大切にしようというこ

とです。職人の業にもっと敬意を払いましょうということです。
 
リーマン・ブラザースは従業員に随分よい給料を払っていたと思います。しかし倒産すれば全員失業者。

再就職は一部の人を除いて多分困難でしょう。

 
昔板前は、包丁一本持っていれば日本全国何処ででもご飯を食べて行けると豪語していました。

職人の業は本人の財産。火事があろうが、地震があろうが、絶対に安心な財産です。
 
大学がテーマパークのようなものだとよくいわれます。

卒業してフリーターになったなどと、よく聞きます。

自分の本当に得意なことで、自分の腕に技能をつけてはいかがですか。
 

私は会社を辞め、技術から離れましたが、英語でお金を稼いでいました。英語やほかの外国語も一種の

技能だと思います。80才になった今でもささやかながらお金を頂いています。
 

私の会社の後輩で、設計技術者として製紙とは無関係の小さな機械メーカーに勤め、70才になっても

仕事をしていた人がいました。


社会のどこかに安住の地を見つけるためには、自分自身が技能を身につけることが一番安全、確実な方法

ではないかというのが老人の意見です。

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