2008.5.10
殺人狂時代


                                                                         増田 次郎


新聞やテレビを見ると、殺人事件のニュースばかりですね。 

どうしてこんなに殺人事件が多いのでしょうか?

一番いやだったのは、「誰でもいいから人を殺したかった」という犯人のせりふです。

茨城県の荒川沖駅殺人事件では、大勢の方が理不尽な男の狂気に巻き込まれ災難に遭われました。帰宅の

ために列車を待っていた方を、後から押して線路に突き落とした少年がいます。

戦争中の私たちは空襲で突然死ぬことが珍しくありませんでした。しかし現在の平和な日本でどうしてこ

んなことが起こるのでしょう。

米国海軍の水兵がタクシー運転手を殺すという事件も起こりました。

これも何故?と聞きたくなるような話です。


豊田市では女子高生が殺されました。東京都のあきる野市では中高年の姉弟が、元市職員と元やくざに殺

されたようです。これらはお金欲しさの犯行のようです。お金が欲しくない人はいないでしょう。しかし

お金は働いて稼ぐものです。 こつこつと貯めるものです。昔から悪銭身に付かずといいます。

こういう殺人鬼は何としても捕らえて罪の償いをさせて貰わなければいけません。

殺人狂たちは、パソコンでゲームをやっている感覚で殺人をしているのではないでしょうか。

亡くなった方は二度と生き返らないのです。


江戸時代は人殺しは大体死刑か、軽くても遠島(島流し)になっていたのではないでしょうか。

テレビや映画の時代劇で仕入れた知識ですが、島流しになると腕に入れ墨をされたと聞きました。

死刑の場合は馬に乗せて衆人環視の中をさらし者にした後、首を切ったり、磔にして(十字架にかけて)槍

で刺殺したりしたそうです。


現在は人権尊重がいわれていますが、殺人に限らず犯人の人権だけが尊重され、殺された人、被害者の踏

みにじられた人権に対する補償はないようです。

私は、人が人を裁くことは本当に正しいことなのかと思いますが、山口県光市の事件のように「未成年者

だから20年経てば自由の身になれる」というような人間が、死刑判決を受けたことは当然だと思いました。
 
こういう人間は現在の法律で定めているような苦痛の軽い絞首刑ではなく、被害者の受けた苦痛を充分味

わせるような死刑に処してやりたいと思います。


もちろん死刑に値する犯罪者が出ないようになれば、一番よいのです。

しかし残念ながら今の国会議員や官僚には、自分の利権を守ることだけを考えている人が多いようです。

この人たちが何とかするだろうと期待していれば、裏切られることは確実です。私たち庶民一人一人が、

犯罪の防止に立ち上がるほかには対策がないようです。防犯カメラの増設だとか、ボランティアによる見

回りだとか、犯罪者の住みにくい世の中に改造して行くしかないのでしょう。

お互いに気をつけて、犯罪が起こりにくい社会を作ろうではありませんか。

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