2007.11.1
認知症との戦い



                                                                                増田 次郎


私は来年8月に80才の誕生日を迎えます。先日紙業タイムス社のH編集長と私の会社の後輩Iさんを我が

家にお迎えし、80才を機に雑誌「フューチャー」の翻訳をバトンタッチすることにつき打ち合わせをさせ

て頂きました。「死ぬまで現役」と思った時期もありましたが、やはり余力を残してバトンタッチしないと

雑誌の発行にご迷惑をかけると考え、決断した次第です。


私の余命が後どのくらい残っているかは、神ならぬ身の知るよしもありません。しかし自分としては特に健

康問題は抱えておらず、後2年や3年は生きていそうな気がしております。そしてこの余生を何に使うか、

いろいろ考えています。それにつけても生きている限り認知症になるのだけはお断りだと思っています。

認知症については、これまでに何度も書きました。この「やっとこさっとこ」にも何度か書いております。

しかしその恐ろしさは是非皆様にご認識頂きたいと思い、また改めて書かせて頂こうと思う次第です。


前に書いたことの繰り返しになりますが、たとえ認知症になられても完全な痴呆状態になる方は、私の知る限

りではごく限られています。大概の方はご自分が行動を制限されること(自由にお出かけになったら、どこへ

行かれるか予想がつかない。間違いなく行方不明になられるので、行動を制限せざるを得ない)に怒りを感じ

ておられます。しかもご自分の行動をコントロールする能力は、年ごとに衰えます。以前は認知症でも私がお

辞儀をしますと丁重に答礼しておられた方が、病状が進行して全く私のことを認識できなくなっておられるの

を見ると痛ましくなります。そうなるとご家族の方もお友達も、お見えにならなくなります。施設内の周囲の

方も遠ざかられます。まさしく孤独地獄の中で暮らされることになります。

以前植物人間にまでなれば、認知症になってもわからないからいいかと思っていましたが、それでも危ないと

思うようになりました。
 

岩城祐子先生のお話ですと、あるお年寄りがいよいよ重態になられ、人事不省になったことがあるそうです。

そのときお子様が枕元に集まられ、最後まで治療を続けるかどうか相談なさったそうです。

お一人の方がもう助からないのだから、延命措置をやめて楽にしてあげようと言われたそうです。ところが末

のお子さんが最後まで延命措置を続けて、少しでも長生きさせたいと主張され、延命措置が続けられました。

この方は生命力がよほどお強かったのでしょうか、生き返られたそうですが、驚いたことにこの危篤状態で意

識がないと思われていた時のことを全部記憶しておられたそうです。ご家族の中で大変気まずいことになった

のは想像できます。
 

従って植物状態になられたと思っても、それは周囲の人がそう思っているだけで、実際は「このぼけ爺」など

と罵しられているのはご本人に通じているのかも知れません。

人生の最後で「呆け爺」と罵られるのは、残念なことです。何としても人生の最後にそのようなことになるの

は避けたいものです。もちろん脳血管障害などで「植物状態」になることが避けられないことはあると思います。

しかし何としてもいわゆる痴呆状態になることだけは、努力で避けることができるものなら最後まで頑張りたい

と思っています。
 

私は翻訳をやめることが認知症につながることを恐れています。

人間の頭脳は自転車のようなもので、止まれば転ぶと信じています。転ばないために頭をどうやって鍛えて行く

か、これが最大の問題です。最近フラメンコのダンスを鑑賞する機会がありました。

またスペイン系の音楽を聞く機会が増えています。スペインが急に身近になっています。

スペインに行くことはあり得ないと思いますが、スペインについてもっと知りたいと考えています。

これを機会にスペイン語の学習を考えています。読み、書き、話す必要は全くありません。

目的も特になし。脳のジョギングかウオーキングです。

死ぬまで止まることができないのは辛いことですが、人間とはそういうものだろうなとチャレンジする気になっ

ています。                                
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