2007.5.30
憲法についての私の考え方
増田 次郎
私はもと技術者で、現在は一介の老翻訳者。大上段に振りかぶって、このような難しい議論ができる訳がござい
ません。しかし私なりに、私が長年にわたり見聞きしてきたことを踏まえ、憲法について考えていることをご披
露させて頂きたいと思います。
さて憲法などは普段読んだこともありません。明治時代に大日本帝国憲法、いわゆる「明治憲法」が制定された
とき、「憲法発布」という言葉を使ったら聞いた人々が「絹布の法被(絹でできたはっぴ)」をもらえるのだと勘
違いしたという逸話が残っているほどです。
さて現在の日本国憲法の前文には次のように書かれています。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を
愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を
維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を
占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有
することを確認する。」
大変残念なことは、世界の諸国民の全てが平和を愛しているとは思えないこと、とても公正と信義に信頼できる
とは思えないことです。北朝鮮の行動は例外だと思いたいのですが、他の国も決して信頼はできません。
悲しいけれども世界は19世紀からほとんど進歩していない。弱肉強食の世界が現実の姿です。
海の向こうでは、中国が自衛のためと言って強力な軍備を整えています。
ロシアも世界の中で自国が強い国であることを誇示しようとしています。
米国は強国ですが民主主義国で、指導者の一存では戦争ができません。イラク戦争のように失敗すれば、政権の
命取りになります。戦時中の日本のようにこの戦争は間違いだったなどといえば憲兵隊に連れて行かれた国とは
違います。ほかの独裁国家に比較すれば、米国は侵略の危険性が高くない国だと思います。
さて現在一番問題になっているのは戦争放棄の項です。
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威
嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
私は若いときに、これはよいことだと思っていました。
今でもこれが現実に可能なら、よいことだと思っています。
一番わが国に攻めて来る可能性が高い国は、いうまでなく北朝鮮です。自国民が餓えていてもテポドンの、原子
爆弾の開発をやめようとしていない。テポドンを発射すれば10分ぐらいで日本に落ちてくるそうです。
6カ国協議に参加しているほかの国は、自分の国はねらわれていないということで安心していられるでしょうが、
わが国はそうは行きません。正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求していさえすれば、爆弾が降ってこ
ないのならよいのですが。
今の憲法のままなら日本は間違いなく大勢の人が死んで、確かに北朝鮮が爆弾を発射したことを確認するまで反
撃ができないそうです。希求しさえすれば大丈夫というのはあまりに素朴な考え方ではありませんか。
日本を攻撃したら大変なしっぺ返しが来ると思わせない限り、われわれの安全を保証することはできないと思い
ます。永世中立国のスイスの軍備はすごいものでした。
私は戦争ほどバカバカしいものはないと信じています。戦争はスポーツと経済戦争だけにすべきです。
戦争しか解決の手段がないというのは、嘘だと思っています。かつて日本は戦争をして、惨敗しました。
大勢の国民が戦火に倒れ、国土が全て焦土になり、復興するには大変な努力が必要でした。しかも諸外国との間
に抜きがたい不信感が生まれました。その不信感を解消するために払った努力は大変なものでした。
日本は今でもそのことで責められています。どこの国でも恥ずべき歴史は持っています。しかし日本人には恥の
文化があるため、責められては謝罪し、金を出し続けて来ました。
いい加減で脅迫されるのはご免だと思います。日本が侵略を受けないために、法律を整備することは大切なこと
です。私は日本人が、日本独自の文化が後世まで残ることを願っています。
政治家が党利党略で日本の将来を誤ることは、許せないことです。
これが60年前の戦争を体験した老人の信念です。
それにしてもこの憲法の文章は、格調が高くないと思います。
私は読んでいて恥ずかしくなりますが、皆さんはいかがですか。
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