2007.3.15
戦争中の中学生の歌
増田 次郎
シルバーヴィラ向山の入居者Kさんは、今年85才になる先輩です。飄々としたお人柄の紳士です。
この方から大阪鎮台の「はやしことば」の続きを教えて頂きました。
「大阪鎮台バカ鎮台、またも負けたか八連隊。金鵄勲章九連隊(くれんたい)」というのです。
歩兵第八連隊は大阪、九連隊は京都の部隊だったそうです。
戦闘ではどちらの部隊も勇敢に戦われたそうで、連隊長が戦死されたことも何度かあったようです。
決してそんな弱兵の集団ではなかったようで、おそらく「このはやしことば」の汚名をそそぐため、必死に
戦われたもののようです。
さて戦争中の替え歌には、随分卑猥な言葉が使われていました。
いくら何でもこんなものをここに書くわけには行かないので、当たり障りのないものをご紹介します。
昭和18年ごろから20年にかけて中学生の間でよく歌われたのが「覗きからくりの歌、八百屋お七」です。
亡くなられた島健二さんもこの歌をご存じでしたので、かなり流行していたのでしょう。
うろ覚えですが、歌詞を紹介します。
「ところ駒込吉祥寺。離れ座敷の奥書院。ご書見なされし後ろから。
ちょっくら膝突いて目で知らす。恨みのこもった口元で。どうぞ察してちょうだいな。
-------いっそ八百屋を焼いたなら。いとし恋しい吉三と。
------離れのわび住まい。おへそ合わせもできようと。女心の浅ましさ。
一把のワラに火をつけて。ぽんと放ったが運の尽き。誰知るまいと思うたに。
天知る、地知る、汝知る。-------に見つけられ。お奉行様へと突き出され。
七日七夜は牢の中。七日七夜が明けたなら。お白州裁きに引き出され。一段高いはお奉行様。
七尺下がってお七殿。紅葉のような手を合わせ。申し上げますお奉行様。私の生まれたそのときは。
ひのえ、ひのとら、---。七夕祭りのその日で。生まれに因んで名もお七。十四といえばよいものを。
十五といったばっかりに。裸のお馬に乗せられて。とぼとぼ渡るは日本橋。京橋銀座と過ぎゆけば。
品川女郎衆がいうよう。あれが八百屋のエロ娘。目元ぱっちり色白で。髪は烏の濡れ羽色。
女の私が惚れるもの。男の吉三無理もない」
よく下らないことを覚えていたものです。
長々とお退屈さまでございました。
目次へ