2007.2.24
満州の小学生



                                                                             増田 次郎


以前私の生まれ故郷である満州の話をこの欄に書いたことがありました。

おおよそは書いてしまったような気がしていますが、最近ミクシィで友達になって下さいました淳三郎さんから

「満州の小学生時代のことを書いて下さい」というリクエストを頂きました。
 
淳三郎さんはお名前から受ける印象とは異なり、実は若いご婦人でありまして、チェコ共和国在住のパーカッシ

ョニストでいらっしゃいます。そのようなわけでこのエッセーを淳三郎さんに捧げる次第であります。


以前にも書いたように、私が生まれたのは昭和3年8月。

従って満州国建国以前で、正確に言えば中華民国生まれといわなければなりません。

覚えていませんが、私が小学校に入学したのは昭和10年4月のはずで、翌々年の昭和12年3月には父の転勤

で東京に来ています。たったの2年間の小学生生活でした。


ここに書くに当たって参考にしようと思いインターネットで検索してみたところ、

驚いたことに「安東大和小学校」で検索して引っかかった情報は、私がかつて「やっとこさっとこ」に書いた

エッセーだけでした。

私がこうやって書いておかなければ、私が死んだ後「安東大和小学校」は跡形もなく消えてしまいそうです。

記憶があやふやですが、それをご理解の上でお読み下さい。


「安東大和小学校」があった安東(現在は遼寧省丹東市)の町は鴨緑江の下流にあり、北には鎮江山という丘があ

りました。この鎮江山は満州随一の桜の名所で、家族で夜桜を見に行った記憶があります。

寒い土地ですから、桜の開花は5月ごろだったようです。


小学校1年生の担当の先生は、梅田トク先生という女の方でした。

和服で袴をはいておられたような気がしますが、定かではありません。

2年生の時安東市内で六道溝(ろくどうこう)?に転居したため、朝日小学校に2、3ヶ月だけ転校しました。

短期間だったので、場所も先生の名前も何も覚えていません。

従って小学校時代の記憶は大和小学校だけで、それも非常におぼろげです。

脳みそを絞って覚えていることを書いてみることにします。
 

この学校には校歌がありました。メロディーは覚えていますが、歌詞が思い出せません。

「流れ遙けき鴨緑江、----我が学舎(まなびや)は安東大和。大和麗しその名----」と切れ切れです。

別の章には「桜花咲く鎮江山、大和心をそのままに、-----」という一節もありました。


学芸会の光景をかすかに覚えています。

終わっても幕が下りなくて、上級生のお姉さんが終わりの姿勢のまま動かずにいて、ついに笑いながら舞台から

引っ込む姿が思い出されます。

学芸会を思い出すのに、運動会を思い出せないのは私のスポーツ嫌いのせいかもしれません。
 

校舎は煉瓦造りで、全館スチーム暖房でした。東京の小学校のボロ校舎とは天地雲泥の差でした。

東京の小学校は教室に小さな石炭ストーブがただ一つ。当時世田谷は東京の田舎でした。

大和小学校にはプールもありました。これも世田谷の小学校にはありませんでした。

寒い土地ですから、日光に当たる機会が少ないということだったのでしょうが、学校に太陽灯といって紫外線を

当てる設備がありました。この部屋では、紫外線よけのゴーグルをかけて真っ裸で紫外線に当たりました。

男女とも文字通りの真っ裸でした。男と女はさすがに別々でしたが、ある時カーテンが外れてしまって女の子の

裸を見てしまったことがあります。何せ小学校低学年ですから、驚いただけでした。


満州の小学校は裸といえば、真っ裸が得意でした。身体検査も真っ裸。

体重測定で正確を期したのか知りませんが、何でも裸にしました。

低学年は驚かないにしても、高学年になると問題ではなかったかと、今では不思議になります。


冬はもちろんスケートをやりました。体操の時間はスケートで、大きな(もちろん天然の)リンクで滑りました。

高学年になると、鴨緑江のリンクに連れて行かれたようです。

先年亡くなった兄は、アイスホッケーの選手だったようです。

私はあのころから運動神経皆無で、スケートもサッパリでした。


あのころ満州唱歌という満州独特の歌を小学校で教えていました。

満州唱歌についてはhttp://www.fusosha.co.jp/senden/2003/042015.phpをご覧下さい。

私が学校で習った歌が満州唱歌だったことを知ったのは最近のことです。

「奉天北陵新市街、飛べ飛べ柳の毛の綿よ----」などという歌が思い出されます。


何しろ昔の話です。

兄や姉が生きていれば、あのころの話を聞けたのですが今となっては手遅れです。

先輩との交際が全くありませんので、聞く相手すらいません。

読者の方で昔満州におられた方をご存じの方がありましたら、ご紹介頂けると有り難いと思います。

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