2007.2.18
四大節の思い出



                                                                          増田 次郎


戦前の日本にも現在の「国民の祝日」に当たる祝祭日がありました。

その中の最も重要な祝日が四大節でした。四大節とは1月1日の元旦(四方拝)、2月11日の紀元節、

4月29日の天長節、11月3日の明治節の4つです。

この日は小学校は授業がありませんが、午前中に学校で式がありました。

式は大体どの祭日でも同じようなものでしたが、元旦の式の様子を思い出して書いてみます。


奉安殿に入れてあったご真影(天皇陛下のお写真)の入れ物(白木で作った神殿のミニチュア) が、あらかじめ

式場正面の壇の上に飾られています。式場といっても私の通っていた学校は講堂がありませんでしたから、

二階の教室の壁を三つぐらい外して、そこに生徒を並ばせていました。

正面の壇の横には、先生がモーニングや黒い背広を着て、威儀を正して並んでいました。


オルガンの伴奏で君が代斉唱が終わると、モーニングを着て白い手袋をはめた校長先生が、ご真影の入れ物

の前に進み出て、写真を覆っていた幕を掲げ、写真が見えるようにして最敬礼をします。

そして教頭が恭しく教育勅語の巻物を校長に渡すと、これをひろげて「朕惟うに(ちんおもうに)------」と

読み上げるわけです。生徒たちは頭を下げてこれを拝聴します。

最後の「御名御璽(ぎょめいぎょじ)」で勅語が終わると、並んで頭を下げていた小学生が一斉に鼻汁をすす

り上げます。あれから70年近く経っていますが、今でもあの鼻汁をすすり上げる音を思い出し、ほほえまし

くなります。


その後オルガンの伴奏で元旦の歌を歌います。

一番が「年の初めのためしとて。終わりなき世の目出度さを。松竹立てて門ごとに。祝う今日こそ楽しけれ」

という歌です。


これには替え歌があります。

「豆腐の始めは豆ですよ。尾張名古屋の大地震。松竹(まつたけ)ひっくり返して大騒ぎ。薯を食うこそ楽しけれ」 実のと

実のところ私は冒頭の「年の初めのためしとて」の部分の替え歌が思い出せません。

インターネットで調べてみたが、いろいろなバージョンあるようです。

「尾張名古屋の大地震。松竹ひっくり返して大騒ぎ」はどのバージョンでも共通しています。

なお最後の「薯を食うこそ楽しけれ」にもほかのバージョンがあるようですが、これは私が子供の頃歌った

覚えがあるので全国標準?だと思います。少なくとも東京ではこれが標準だったことは確かです。


ほかの三大節にもそれぞれ次の言葉で始まる歌がありました。

紀元節は「雲に聳ゆる高千穂の」。

天長節は「今日のよき日は、大君の生まれ給いしよき日なり」。

明治節は「アジアの東、日出ずるところ」で始まりました。

これらの歌には替え歌があった記憶がありません。


私の通っている小学校では、式が終わった後全員に紅白のお菓子が配られました。

落雁のようなお菓子だったと思います。
 

随分昔の話になりました。こんな話でも書いておかなければ、皆消えてしまうと思い、書いてみました。

私の思い違いもあると思いますから、お気づきの方がそよ風さんに書き込んで頂ければ幸いです。



先日人命救助で重傷を負われた宮本警官(警部に特別昇進)が、全国民の祈りも届かず亡くなられました。

残念なことでした。謹んでご冥福を祈ります
                                                                                 目次へ