2007.1.13
島 健二さんの生活で学んだこと



                                                                          増田 次郎


島さんが亡くなられてから早くも1週間がたちました。


島さんは若いときのことを、ここに掲載されているエッセイの中にいろいろ書いておられます。

それで皆さんが感じておられるように、若いとき島さんはスポーツ万能で体力のある青年でした。

たばこを吸っておられたそうですが、十数年前に脳梗塞で倒れられてからはすっぱり禁煙なさったそうです。

その後奥様が亡くなられてからは、それまでやっておられた翻訳もやめてしまわれ、全くの世捨て人として

シルバーヴィラ向山で悠々自適の生活を送ってこられました。歌舞伎が大好きでした。歌舞伎に対する見識は、

太田公士さんも認めておられるほどで、お兄様の島淳一様と並ぶ歌舞伎通でした。


ここからがこの方の生活のネガティブな面のご紹介になります。

食生活で、島さんは非常に好みが偏っておられました。

魚は骨、皮、内臓が苦手で、煮魚、焼き魚は大嫌い。刺身なら食べる。

中トロや鰹のたたきなどはお好きでした。ほかに水産物では牡蠣やホタテのフライが大好物でした。

肉類は鶏肉が嫌いで、豚肉を好まれました。とんかつ、ハンバーグなどが何よりの好物。

この好みでおわかりになるように、揚げ物、炒め物など、脂っこいものが何よりの大好物でした。

香辛料ではわさび、ショウガ、胡椒、芥子は大好き。紫蘇、山椒は大嫌いでした。

気の毒だったのは入院されたとき、「この病院は食事が美味しい。ただ白身のお魚が出たのに、紫蘇で味が

付けてあった」と嘆いておられました。


脳梗塞で倒れられたとき、医師から「たばこを飲んだら生命の保証はできない。酒は人により適量が違うが、

適量なら結構です」といわれたそうで、お酒がお好きで随分飲んでおられました。

酒はもっぱらウイスキーを飲んでおられ、大きなボトルを2日で空けられることもあったそうです。

ウイスキーはもっぱら水割りで、昨年初めに入院されてからは「ボトルが空くのに1週間かかる。酒の量は

随分減らしている」と言っておられました。このとき入院した病院でも、医師が「適量なら酒を飲んでよい」

といわれたそうで、本当にお酒が好きな人でした。

マーブルチョコがお好きでした。

朝世間話をしに部屋に伺うと、自分でも食べ、私にも勧めて下さいました。
 

運動は大嫌いでした。

とにかく歩くのが嫌いで、100mぐらい先のセブンイレブンに行くと「今日はセブンイレブンまで行った

ぞ」と威張っておられました。ポルテドール光が丘に引っ越したばかりの頃、400mか500m先の食品

スーパーのライフに一緒に行ったことがあります。

往きは確かバスに乗って30mかそこらしかないバス停から歩きました。

食料品を買いましたが、島さんはいろいろなものを買い込み、帰るときになったら重くて運べないほどの量

になっていました。私が歩行器のバッグの中に入れて運んであげました。途中のバス停で「貴方はここから

バスに乗ってお帰りなさい」と言ったら、「荷物をあなたに持たせておいて、自分だけバスには乗れない」

と言って一緒に歩きました。私の歩くスピードはひどく遅いのですが、島さんはそれにさえついてくるのが

えらくて「先行部隊の後ろ影が段々遠くなる」と嘆いていました。


摂取するエネルギーと消費するエネルギーのバランスが狂うことが、糖尿病の原因ではないのでしょうか。

12月28日、島さんが入院されたときの血糖値は550に達していました。

いつ脳の血管が切れても、失明しても不思議はないと創生苑の顧問医は言っておられました。

それでも島さんは入院を嫌がっておられました。

ポルテドール光が丘の自分の部屋で死にたいと言っておられました。

ついに私が「年末にそんな我が儘を言って皆を困らせるなら、私は友達をやめます」と言って島さんを説得

しました。島さんは「増田さんに強姦された」といって、諦めて入院しました。
 


12月30日に病室をお訪ねしたときは、大分元気でニコニコしていつもと変わらない様子でした。

ところが翌31日に見舞ったときは、首をうなだれてしまっていて本当にしんどそうでした。

話の内容も支離滅裂。全然会話が成り立たなくなっていました。ところが夜私の部屋に電話をかけてこられ、

「昼間はせっかく来てもらったのに疲れていて話もできず、悪かった」と謝っておられました。

私はそれから4日で亡くなるとは思っても見ませんでした。


惜しいことです。学識、人生観、人を見る目。どれをとっても優れた人だったのに、不養生で寿命を縮めて

しまったことは、返す返すも残念です。私は晩年にして得た、大切な友人を失いました。

私は彼のネガティブな生活習慣を鑑として、いくらかでも社会のため役に立つことを理想として、生きて行

きたいと念願しています。


島さん、さようなら。

遅かれ早かれ、私も貴方のところに行きます。

そのときはまた面白い話をして、貴方を笑わせますからね。
                                                                 目次へ