2006.9.21
またまた奄美の話
増田 次郎
奄美大島が日本の離島としては佐渡島に次ぐ面積を持ちながら、産業(観光を除く)は大島紬が衰退した後
黒糖焼酎程度しかありません。誠に残念なことです。
シンガポールは小さな島国ですが、経済的には金融、エレクトロニクス、精密器械などを中心に非常に繁栄
しています。観光以外に目立った産業がないのは実は沖縄も同じです。沖縄はさておき、奄美大島か日本の
シンガポールになるにはどうしたらよいか。奄美大島とシンガポールの比較をしてみました。
面積 人口
シンガポール 699ku
424 万人
奄美大島 709ku 7.3万人
奄美群島全体 1,239ku 13
万人
表でご覧頂いたように、奄美大島は単独でも面積ではシンガポールに匹敵しています。
しかし人口は2%にも達していません。かつては何十万人かがこの島で生活していたそうですが、
若い人が皆都会に移ってしまい、奄美群島全体でも人口がシンガポールの3%強にとどまっています。
シンガポールは多民族国家で、中華系が人口の76%を占めていますが、マレー系とインド系がそれぞれ
人口の13.7%と8.4%を占めており、複雑です。国語はマレー語ですが公用語はマレー語のほか英語、
中国語、タミール語など大変です。よくこれで国家として纏まって行けるものだと感心してしまいます。
単一民族が住む奄美大島が経済でシンガポールの後塵を拝するのは何とも残念なことです。
シンガポールは第二次大戦後英国からマレーシアの一州として独立しました。
独立後わずかの期間でマレーシアから追い出され、奄美大島より小さい国土しかないのに独立国になってし
まったのです。1965年のことでした。
総理大臣のリー・クァンユーさんはこれからどうなるかと心配で泣いたそうです。一方戦後米軍の軍政下に
あった奄美大島は、シンガポール独立に先立つこと12年の1953年に日本に返還されています。
日本の一部になったことが、かえって奄美大島から発展の機会を摘んでしまったのかも知れません。
奄美大島が繁栄して行く道はどこにあるのでしょうか。
奄美大島が属する鹿児島県も、失礼ですが現在決して日本の先進地域ではないように思えます。
薩摩と長州は明治政府が誕生したとき、日本の最先進地域だったはずです。
陸軍の長州、海軍の薩摩とかつて並び称されていました。しかし戦後海軍がなくなってから、先進地域の座
を失ってしまったようです。
これからもう一度どうやって先進地域になって行くのか、これは政治の問題だと思います。
公共工事予算で、道路とトンネルと港湾で食べて行くというのでは、どう考えても奄美大島には将来展望が
開けそうにありません。
私は鹿児島県とも奄美大島とも、地縁血縁があるわけではありません。
しかし地方から日本の改革を進めなければならないときですから、鹿児島県民や奄美大島島民だけでなく、
政治家の皆様にも、鹿児島出身の実業家の皆様にもこれから大いに頑張って、Uターンの人、Iターンの人
を迎えて、過疎の島から脱皮し観光と両立する産業の島として将来展望を開いて頂きたいものだと切にお願
いする次第です。
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