2006.8.10
東京市から東京都へ
増田 次郎
東京府と東京市が一体になって東京都になったのは、昭和18年でした。私が中学3年生の時です。
当時東京都の最高責任者は都知事ではなく都長官で、初代の都長官に就任したのは大達茂雄さんという方で
した。この方は内務官僚で、日本軍がシンガポールを占領して昭南特別市と命名した時市長に就任された方
です。戦後文部大臣にも就任しておられます。
現在の23区になったのは戦後のことで、戦前は区の数がずっと多かったのです。
私の記憶に間違いがなければといいたいところですが、とても思い出せず、郵便番号の表を見たりインター
ネットで検索したりして確かめました。今の区名に変わる時、いろいろ異論が出たのを覚えています。
当時一番評判が悪かったのが大田区で、大森と蒲田から一字ずつとってつけた苦し紛れの命名でした。
当時どなたかが「太田道灌の名前をとったのなら結構だが、何というみっともない名前だ」と悪口を言われ
たのが新聞に載っていました。日本全国で市町村合併が盛んに行われていますが、新しい名前をつける時も
難航されているようで、南アルプス市などと、昔のどこが合併して変わったのかとんとわからない奇態な
名前がついたところがあるようです。
23区の区名と戦前の区名の一覧表をつくってみました。
現在 戦前
千代田区 麹町区、神田区
中央区 日本橋区、京橋区
新宿区 淀橋区、牛込区、四谷区
港区 芝区、赤坂区、麻布区
文京区 本郷区、小石川区
渋谷区
目黒区
品川区 品川区、荏原区
大田区 大森区、蒲田区
世田谷区
杉並区
中野区
豊島区
練馬区
板橋区
北区 王子区、滝野川区
台東区 下谷区、浅草区
葛飾区
江戸川区
江東区 城東区、深川区
荒川区
足立区
墨田区 本所区、向島区
なお板橋区から練馬区が分離独立したのは戦後のことでした。
順番は思いつくままに書いたので、意味は全くありません。
区の名前が変わっただけでなく、江戸時代からの由緒ある町名が随分変わってしまい残念なことです。
文京区に弥生という町名が残っていますが、これを残すのに地元の皆さんは随分役所と押し問答をなさった
そうで、弥生式土器が発掘された場所が本郷何丁目かでは不都合だと頑張られたそうです。
残念なことに新橋田村町は西新橋何とかに、麻布の霞町も西麻布何とかに変わってしまいました。
田村町の交差点を通った時にバスの窓から目をこらしてみていたら、ビルの窓に「田村町診療所」と書いて
あるのを見つけました。
よくこそ昔の地名をつけて下さったと診療所の先生に拍手喝采を送りたいと思います。
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