今日(12月7日)「日経ビジネス」のエクスプレス・メールを読んでいたら、
セブン・アイ・ホールディングス名誉会長の伊藤雅俊さん(イトーヨーカ堂の創立者でいらっしゃる方だと
思います)がお書きになった「小売業から始めれば、どんな商いでもうまく行く」という文章に感銘を受け
ました。この方の文章はこのメールに限らず、いろいろな著書に掲載されているそうでから、ご一読下さい。
一方今朝の新聞やテレビで一斉に報じられていたのが、松下電器がかつて販売した強制吸排気式石油温風暖房
機で事故が多発しているので、テレビのコマーシャルを5日間中止し代わりに問題の暖房機が危険であること、
全ての機械を5万円で買い戻すということをテレビで需要家にPRするという発表でした。
さすがの松下電器も、スタートが遅れてお客様に死亡者を出してしまったのは辛いことでした。
しかし副社長がテレビに出て、
「これ以上ブランドに傷を付けてはいけない。草の根をわけても欠陥機械は1台残らず回収します」と謝罪した
ことは、見た人に好印象を与えたと思います。
これはかつて三菱ふそうトラック・バス株式会社が、製造欠陥に起因するトラック事故が発生した時とった
対応と正反対です。
考えてみれば、こういう非常事態が発生したときとるべき対応は、小売業でも、メーカーでも、金融機関でも
全て同じです。いや民間の営利機関だけでなく、官公庁や教育機関でも全て同じだと思います。
冒頭の伊藤さんの文章には「一番大切なことは志を持つことだ」と書かれています。
志とは「どうやれば世の中の役に立てるか」ということではないかと書かれています。
松下幸之助さんは「電気製品を安い価格で供給し国民の生活をよくする」という志を立てられたと
記憶しています。松下さんがお金を儲けることがお上手であったことは確かです。
しかしお金さえ儲かれば何をやってもよいとはお考えにならなかった。それは間違いないと思っています。
自分だけよければよいと思いたいのは人情です。
しかし自分だけよければよいと思っていては、誰も信用してはくれません。
それでも信用してくれるようなお人好しは滅多にいません。
いや、たとえいたとしても一度だまされたら二度三度だまされて下さる人は先ずいないでしょう。
仏の顔も三度といいます。
明治・大正期に日本経済の指導者であった渋沢栄一翁の生涯を通じての基本理念は
「論語」の精神(忠恕(ちゅうじょ)の心=真心と思いやり)にあり、
単なる利益の追求ではなく、「道徳経済合一説」による日本経済の発展でした。
ここに、実業界の指導者としての、栄一翁の偉大さがあるのです。(埼玉県深谷市ホームページより)
この忠恕という言葉は孔子が弟子の曾子に向かって
「我が道は一以て(いつもって)これを貫く(私の方法はただ一つのことで貫かれている)」といわれ、
曾子が「はい」とだけ答えたと書かれています。
後でほかの弟子が曾子に解説を求めたところ、
曾子が「夫子の道は、忠恕のみ(うちの先生の方法は、自己の良心に忠実であり、他人の身の上をあたかも
自分のことのように思いやることで一貫している)」と答えたと論語に書かれています。
渋沢栄一翁は片手に算盤、反対の手に論語を持つように勧められたといわれます。
というとひどく堅苦しい方のように思われますが、「当時よく云われていた妾の家に居りながら、
訪ねてきた人に、ご本人の声で、さような人はここにはおりませぬと答えたという話が頭にあって、
なんで尊敬する人として書くことができようかと子供心に思ったことがあった」という文章(翁のご子息
秀雄氏の随筆)をインターネットで発見しました。奥様は栄一翁が「論語とはよいものを見つけられた。
聖書だったらとても守れなかったはず」といわれたそうです。
さて変な方に脱線しましたが、浮気の話はお愛嬌として翁の遺訓は今でも正しいと思います。
自分の会社の問題点を隠したために致命傷を負った会社、経営者は無数にあります。
思い出すだけでも最高幹部が関わった粉飾決算ではカネボウ、古いところでは山一証券などがありました。
名門雪印もブランドが消えてしまいました。
築城は三年、落城は三日という言葉があったと思います。
化学工場の爆発で川に有害物質が流れ込んだのに隠したということで、下流の国から批判されたところがあり
ました。この国は鳥インフルエンザの発生も隠しているのではないかと、疑われています。
よその会社のこと、ほかの国のことと考えていると信用を失い取り返しのつかないことになります。
私の翻訳でお客様にご迷惑をかけることがないよう、大いに自戒したいと思っています。