2005.11.24
情けない話は聞きたくない

 

                                                                             増田 次郎



情けない話が毎日のように新聞やテレビに登場します。

またまた老人の繰り言になりますが、辛抱してお付き合い下さい。



高校一年生の男子が、小学校、中学校からの友人だった同じ高校の女子生徒を刃物で滅多切りして殺害した

事件があります。化学が得意な女子高校生が、自分の母親にタリウムを飲ませて植物人間にしたそうです。

この女生徒は自分のことを「僕」といい、男のように振る舞い捜査担当の警察官を呆れさせていると伝えら

れています。その前には父親と母親を殺し、自分の住んでいた施設を爆破した高校生がいました。

今この原稿を書こうとして思いだしたものだけを挙げても、たちまちこれだけの数になります。



もちろん現在の若い人々の全てが、このような常軌を逸した行動をとっているとは思っておりません。

例外だと思うし、そうであることを祈ります。


戦前の法律には尊属殺人という罪名がありました。

これは親殺しなど戸籍上自分より目上に当たる人を殺した場合に適用されたものです。

尊属殺人は一般の殺人より刑罰が重くなっていました。

刑罰が重くなっているのは、子が親を殺すことが道徳的に普通の殺人より非道なことだという見解に

基づいていたのだと思います。

しかし刑罰が重ければ犯罪が減るというような理屈が、成り立たないことは確かです。



子供が一人前になるまでには、親もかなりの犠牲を払わなければならないことは確かです。

タリウム事件の母親は、この女の子のことをどう思っていたのでしょうか。

赤ん坊がどんなにかわいいものかは、育児経験のある人は皆身体で感じておられるでしょう。

一方子供の女子高校生は、母親を好きでも嫌いでもなかったといっているそうです。

それがどうして、このような結末を迎えることになってしまったのでしょうか。

この女生徒は母親に甘えたことがなかったのでしょうか。



私の本棚には「論語」が並んでいます。

昭和
53年発行の朝日新聞社中国古典文庫の文庫本で、吉川幸次郎さんの著書です。

私には一時論語に凝った時期がありました。

下村湖人さん(次郎物語の著者)の論語物語、武者小路実篤さんの論語など読んだ記憶があります。

論語を読んだのは確かですが「論語読みの論語知らず」とは私のことで、俗臭ふんぷん。

誠に困った人物です。

しかし今でも「これを知るをこれを知るとなし、知らざるを知らずとなす。これ知るなり」とか、

「逝くものはかくの如きか、昼夜をすてず」など珠玉の文章を忘れることができません。

論語を読んでも必ずしも人格者になれないことは、私をご覧になれば直ぐおわかりになるでしょう。

しかし江戸時代は四書五経を読むことが、学問の出発点だったようです。

そういう教養を無理矢理にでも植え付けることが、現在でも必要なのではないでしょうか。


私は世田谷に住んでいたとき、

等々力小学校で生徒たちの放課後の遊び相手をさせて頂いたことがありました。

本の読み聞かせをやりたいと思いましたが、なかなか聞いてくれませんでした。

今でもそういう仕事があれば、お手伝いしたいと思っています。



私は電車の中でお隣に座っている子供さんとお話しするのが何より好きです。

私が笑いかけると、子供さんが喜んでくれることがあります。嬉しいことです。

現在の私にできることはそのくらいのことしかありません。

でも子供達に笑顔で話し合うことの楽しさをわかって貰えれば、少しでも世の中をよくすることにつながら

ないかと思っています。

情けない話を聞きたくないので、何かお手伝いしたいと思うこのごろです。


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