2005.10.24
歌の文句に残りました



                                                                                                                              増田 次郎


昔広沢虎造という浪花節語りがいました。

私が子供だった時代はこの人の全盛期で、次郎長外伝はこの人の得意の出し物でした。

虎造の得意の文句がこの「歌の文句に残りました」です。

歌の文句に残りました。山本の長五郎。数多(あまた)身内のある中に、

四天王の一人で乱暴者と異名をとる、遠州森の石松の苦心談のお粗末を、悪声ながらも勤めましょう」

というようなことをうなっていた記憶がありますが、何分
60年以上昔のことで記憶は定かではありません。




さて前回書くべきことを書き落とした(遺言の文句に残りました)ので、変な前置きをして「遺言」に追加

させて頂きます。それは「自分探し」という言葉が気に入らないということです。

近頃若い人の中に「自分は一体どういう人間なのだ」「何が自分に向いた仕事なのだ」「これから何をした

らよいか」といった疑問を持ち、学校を出た後、進学も就職もする気がない人(こういう人をニートという

のでしょうね)親の細いすねをかじって平気な人(パラサイト・シングルという言葉があるようです)がいる

と聞いています。




私は前に書いたように、今となってはごく下らない動機で技術者の道を選びました。

早稲田の理工学部に行けば、女の子にもてるだろう。どこかに就職できるだろう。

機械科出身なら「つぶし」がきいて首になることはないだろう。ひどいものです。

私が大学を出た
1951年は大変な年でした。就職できないので、やむなく大学院に行った同級生がいました。

自分探しどころではありません。腹は減っている。文字通り喰うために必死でした。

昔軍隊で兵隊さんは「軍靴、軍服に足や身体を合わせろ」といわれたそうです。

無茶苦茶ですな。だが私も「自分探し」どころではなく、まさしく社会に自分を合わせました。




しかし「自分探し」が本当に可能だと思いますか。

私は自分がどういう人間なのか、今でもよくわかりません。

その時その時で、置かれた場面に自分を合わせるだけでした。

無理にこじつけるなら、その場その場で自分を状況に合わせることができる柔軟性が私なのかも知れません。

何と頼りないことだと思われるかも知れませんが、私がその話をしたら同年齢の皆さんは皆同意見でした。


浪人せずに大学を卒業して22才、高齢化時代ではありますがリタイアーする年齢は65才がよいところでしょう。

その間
43年。長いと思われるかも知れませんが、私の年齢になってみるとこのくらいの年数はあっという間です。

「花の生命は短くて、苦しきことのみ多かりき」「生命短し恋せよ乙女、赤き唇褪せぬまに」。


人間は哺乳類の一種です。霊長類だと大層なことをいっていますが、それにしてはやることはお粗末です。

猛獣は弱い獣を殺します。しかしそれは食物として殺すのであって、殺すために殺すわけではありません。

人間は殺人を目的として人を殺します。これが万物の霊長でしょうか。

ほかの鳥獣は皆自分の子孫を残すために繁殖行動をします。

人間は浅ましいことにただ快楽のために生殖行為をして(年中さかりがついている)、挙げ句の果てにエイズ

で苦しんでいます。

 

テレビでいろいろな動物の生態が報道されていますが、巣立ちの場面は感動的です。

それまで餌を持って帰っていた親鳥が突然持ってきてくれなくなる。

大きくなった雛がおっかなびっくりで巣から飛び立つ。自分で餌をとれない雛は死ぬ。

これが自然の冷厳な法則です。


人間の雛の中には、いつまでも親の持ってくる餌を頼って巣離れしないものがいます。

いずれ親は子より先に死にます。遺産があればそれにしがみついて生きて行くこともできるでしょうが、

皆さんそれでよいのでしょうか。


そんな頼りない大人にならないで下さい。

自分探しはしなくても、鏡を見れば自分の顔は間違いなく見えます。

頼りないことをいわずに、歩きながら考えて下さい。

そして自分の家族を持って子育てをして下さい。

それが人間です。子供が欲しくてもできない人がいます。

そういう人はやむを得ませんが、普通の人は子供を持って下さい。

赤ん坊はよい匂いがして、素晴らしくかわいいですよ。
                                   
目次へ