これは77才になった老人から皆さんに残す遺言です。
遺言を残す本人がまだピンピンしていて、ときどき酒を飲んで酔っぱらうような男ですから、生前に公表して
も余り迫力がありませんがまあご勘弁下さい。
今から60年前、日本は戦争に負けました。コテンパンにやられました。
まさしく惨敗でした。都会という都会は度重なる空襲でほとんどが焼け野が原になっていました。
多くの工場が焼夷弾や爆弾で破壊されていました。
空襲で破壊されなかった工場も資材が入らず、資材があっても停電したりして工場はほとんど停止していました。
食糧の不足も甚だしく、皆お腹が空いて滅多に来ない電車を待つ間、駅のプラットフォームにべったり座ってい
ました。サツマイモの買い出しに行った話など、島さんや私が前に書いた通りです。
島さんも私も、人生のスタートは廃墟と空腹でした。
イラクの戦争でバグダッドが荒廃したといいますが、あの程度で済んだのは兵器が格段に進歩したからです。
イラクの安定が遅れているのはイスラム教のシーア派とスンニ派の対立、それによる暴力の応酬が原因です。
米国がイラクに足を取られているのは、宗教と民族性についての知識が不足していたからではないかと思います。
それはさておき、あの廃墟から60年。日本はよくここまで来たものだと思います。
東南アジアの都会には現在もあちこちにスラム街があり、
食うや食わずの生活をしている人が大勢いると聞きます。
日本人も60年前は食うや食わずの生活でした。40年前は自家用車を持つなど夢のまた夢でした。
テレビのアンテナ(もちろんBSのアンテナではありませんよ)が建っている家を泥棒が狙っていたのは、
そのもう少し前だったような気がします。電話のある家は滅多にありませんでした。
近所の人が電話を借りに来るので、どこの家も電話機を玄関に置いていました。
われわれの若いころは、日本も随分貧しかったのです。
今の日本は随分豊かになりました。
生活は豊かになりましたが、悲しいことに心はひどく貧しくなっているように思います。
また年寄りの昔話だといわれるかも知れませんが、昔は皆一生懸命働きました。
働かなければ文字通り飯が食えなかったのです。
日本のように天然資源に恵まれない国は、
原材料を輸入して加工品を輸出するしか生きて行く道がなかったのです。
それは今でも同じです。物つくりで頑張らなければ、繁栄を維持することは不可能です。
王子製紙で昔「会社に来るのが苦痛だ」と嘆いた社員に
「当たり前だ。会社に来るのが楽しかったら入場料をもらう」と二代目社長の高島さんが慰めたという話が
あります。私の同期入社の男が会社に出てこなくなり、友人のよしみで自宅まで説得に行ったことがあります。
この友人はお父さんが有名な方で、お金持ちだったので結局そのまま退職しました。
昔も会社の仕事になじめない人がいなかったわけではありません。
このときお金持ちの子は弱いなと痛感させられました。
しかし今は極端です。
ニートだとかパラサイト・シングルだとか、私たち老人には理解できない方が大勢おられるようです。
人生に必要なのは辛抱、我慢、妥協ではないかと思いますが、いかがでしょうか。
職場には人格高潔で、やさしく、有能で勤勉な人ばかりいるわけではありません。
自分が人格高潔で、やさしく、有能で勤勉な人だと思えますか。
そんな人は滅多にいませんよ。人間関係がよくないのはあなたの職場だけではありません。
職場の同僚もあなたのことを嫌な人だと思っているかも知れませんよ。
他人のせいにしても何にもなりません。
あなたがどうしても人間関係が嫌だったら、物つくりの達人になりませんか。
職人には昔から変わり者がいて、「あいつは変人だが、腕がいい」と認められていました。
こういう人は余人を持って代え難いということで大事にされていました。
私も翻訳の職人になったお陰で、いまだに仕事をしています。
皆さんは自分の生き甲斐になる仕事を持たずにどうするつもりですか。
生き甲斐のある仕事を持たなければ、惚け老人になりますよ。
世間体などは考えずに特技を持たなければ、この世から必要とされない廃人になります。
たとえ頭がさほどよくなくても(私もそうです)、
自分の特技を持ち、責任感があり、にこにこと人当たりのよい人は皆に好かれて愉快に毎日が過ごせます。
天才といえるような方ならどんな生き方でも許されるでしょう。
われわれ凡人は生き方の選択肢が限られています。
若い皆さん、惚け老人予備軍になるのだけはやめましょう。
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