2005.9.7
惚けへの恐怖(T)


                                                                                                                           増田 次郎




「ぼけ」という言葉は禁止用語になったのでしょうか。

以前は呆け老人という言葉が日常的に使われていました。

それが役所用語(?)で痴呆に変わったのが七、八年前だったでしょうか。

「痴呆とはひどい。痴は白痴の痴、呆は阿呆の呆だ。

こんなひどい言葉を人間に対して使うとは」と大いに怒ったことがあります。

最近は認知症と呼ぶようになりました。

シルバーヴィラ向山では、認知症にかかられた方を「おわかりにならない方」と呼んでいます。

文字にすると長いけれど、言葉にすると認知症よりこの方がよくわかります。

認知症になったというのを聞き違えて、

「あんな年寄りが妊娠するわけないだろう」と怒った方があったそうです。

(これは増田の創作) ぼけの漢字に惚けがあります。

これは恍惚の惚という字で、おわかりにならない方に一番近い語感があると思います。

そこでここではこの惚けを使うことにします。




惚けにもいろいろ程度があり、増田流の分類で行くと初級は「誰かが私の部屋に入って来る。

扉には鍵がかかっており、入ってくる場所は換気口しかない」といった「過剰警戒(?)症候群」です。

「夜中に私の部屋の扉をノックした人がいる。開けてみたら足の悪いお爺さんで、○○をとってくれという。

気味が悪いから嫌だと断った」といった
90才近いお年寄りがあり、

そのお爺さんはこちらの部屋の人だと私の部屋の方向を指さしたので、肝をつぶしたことがありました。



第二段階は「所持品紛失症候群」です。

お金、宝石など貴重品だけでなく、身の回りの詰まらない物がなくなると騒がれる方があります。

この被害者はもっぱらヘルパーさんです。

「ダイヤの指輪がなくなった」あるいは「何十万円なくなった」と騒ぐ。

帽子がなくなったと言われたヘルパーさんが鍵を借りて部屋に入り、

探し出して「ありました」と渡して上げると、後で「あの人が犯人だったのよ。良心の呵責に堪えかねて

返してきた」と他の人にいう。始末の悪い話です。

惚けているくせにそういう理屈だけは整然と並べるので、知らない人は信用します。

全くヘルパーさん泣かせです。



身体は元気で頭だけ惚けている人は、大体こんな調子です。

しかし中にはそれを過ぎて常人の考えつかない境地に達している方があります。

このシルバーヴィラ向山の土地は自分の所有地であると考えている方があります。

あるいは元大学教授で、食堂の一角が自分の研究室のデスクだと考えている方があります。

この方はそこに座って食事をしている方に「そこに座っていてもいいよ」と許可を与えて下さるそうです。

この方は入居後帰宅したくて、暴れ回られ職員が皆閉口していました。

「何の権限があって俺をこんな所に監禁するのだ。俺はこんな窓硝子をたたき割るのはわけないんだ」と

荒れ狂うのを見たことがあります。

その時祐子先生少しも騒がず「どうぞ割って下さい。修理費は請求させて頂きますよ」といったら、

教授が値段の安いものを握りつぶして静まったのはお笑いでした。



元女医さんは自分のご主人が見舞いに来られても、「この人は主人のお友達だ」とおっしゃるそうです。

不思議なことに「帰りたいとおっしゃる」お家は、娘時代にご両親と住んでおられた所です。

人間の記憶というのは新しいことは忘れるが、昔のことは残っているようです。

元大学教授と元女医のお二人は、周囲から先生と呼ばれ、偉そうにしていらっしゃいます。

この段階は「現実認識不可能症候群」とでもいうべきでしょうか。



最後はどうにもならない方々です。

トイレと廊下・エレベーターの区別がなくなり、廊下で排泄行為をなさる方があります。

また廊下で衣服を全部脱いで、ストリップショーを上演なさる方があります。

また年中何かわけのわからないことを泣きながら、かき口説く方もあります。

テーブルを黙ってひっきりなしに叩いておられる方もあります。

また中には非常に穏やかで、いつもニコニコしておられる方もあります。

この段階は「現実離れ症候群」でしょうか。
    (以下次号)

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