2005.4.9
明治学院中学部の思い出(名物先生2)
増田 次郎
前にも書いたように私が中学の授業を受けたのは4年生の1学期までです。
確か7月から勤労動員を受けて工場に行きましたから。短い中学生活でした。
その勤労動員中にお世話になったのが唐沢先生です。
唐沢先生は修身や国語漢文の先生でした。
風紀取り締まりの先生で学生に人気のある方ではなく(はっきり言えば嫌われ者)、
あだ名がカラスで皆に恐れられていました。
私もこの先生がわれわれの動員先に監督に来られることになって弱いなと思いましたが、
実際には非常に人間味のある立派な方でした。
昭和19年末には日本の苦戦が明らかになり、昭和20年に入ると空襲が頻繁にあり工場の
操業も低調になっていました。「仕事もないし図書館に行って勉強したい」と先生に申し
上げたところ、ちょっと困ったような顔をなさいましたが「よろしい」と許可して下さい
ました。生徒を信用して下さったことを今も嬉しく思っています。
私が得意だったのは英語、数学でした。
物理、化学はあまり得意ではありませんでした。
一方暗記物の地理・歴史は大嫌いでしたから、先生のお名前も思い出せません。
ただ東洋史の授業は覚えさせられるのは嫌だったけれど、話は面白かったと思います。
聖書は1年生で旧約聖書、2年生ではイエス伝、3年生では使徒行伝を習いました。
この授業も地理歴史と同様苦手でした。
皮肉なことに後年英語を仕事にするようになり、聖書の知識があったことが大変役立ちました。
わからないものです。