2005.4.9
明治学院中学部の思い出(名物先生1)


                                                          増田 次郎



中学に入学して初めて英語を習いました。英訳は英文和訳。

当時はすごい直訳全盛の時代でしたが、
We have a meeting. を「会議を持つ」と訳して

「会議が持てるか」と怒られた友達がいました。

怒ったのは山本弥一郎先生。あだ名はボケナス先生でした。

後年まさか翻訳屋になるとは思いもよらないことでしたが、この先生から教わったことは

幸せだったと思います。

先生はご自分のお母様を非常に尊敬しておられ、朝の礼拝で先生がお祈りをなさると、

讃美歌は必ず「母君に勝る友や世にある」という曲でした。




国語で「平家物語」を習ったことを思い出します。

あだ名の「貧乏えびす」の方をしっかり覚えていますが、

本当のお名前は大西先生だったと思います。

「祇園精舎の鐘の声。諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色。盛者必衰の理をあらわす」

という最初のくだりは、先生の独特のイントーネーションとともに今でも覚えています。




国文法は小出正吾先生に習いました。

小出先生は確か童話作家でいらっしゃったような気がします。

明治学院としては異色の先生で、

國學院大學のご出身で神官姿の写真を拝見したことがありました。





数学の先生で一番印象に残っているのは内藤正隆先生です。

一年生で初めて代数を習ったのですが、いたずら小僧どもを相手にジョーク混じりに上手に

教えて下さったのが今でも印象に残っています。

「電話で内藤先生いらっしゃいますかとかかって来た。

内藤先生は二人いますが、どちらの内藤先生ですか?と事務員が返事すると、

相手が数学の先生ですという。二人とも数学の先生ですと事務員がいう。

相手は困ってしまう。こういうときあだ名を知ってると便利だ。

渋茶の方だといえば私の所に廻ってくる」といって生徒を笑わせたことがありました。

あだ名を知っていたんだとわれわれいたずら小僧は全員喜びました。

内藤先生は早稲田の理工学部電気工学科のご出身。

後年私が先生の後輩(私は機械工学科ですが)になるとは思ってもいませんでした。




漢文は中学時代大嫌いでした。

後年早稲田の第一高等学院で確か大野先生とおっしゃる方に教えてもらったとき、

こんなに面白いものだったかと驚きました。

教える先生によって随分違うものだなと思わされました。


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