2005.3.5
明治学院中学部の思い出(苦手な授業)
増田 次郎
正課として週に1時間柔道の授業を受けることになりました。
柔道場は校舎の裏の崖下にあり、塀の向こうは藤山愛一郎さん(大日本製糖株式会社を中心と
する藤山財閥のオーナー。戦後政界に出られ外務大臣などを歴任されましたが、私財を全て
政治資金につぎ込んで無一文になられ、清潔な政治家として定評のあった方でした)のお屋敷
でした。
柔道の授業は受け身の稽古から始まります。
ご承知の方が多いでしょうが、受け身とは上手な転び方の訓練で、最初はステンステンと転ん
でばかりいました。
膝車、大外刈り、小外刈り、背負い投げ、巴投げなど基本的な業を赤沼師範(入学当時は五段
、後に六段に昇格)に教わりました。不細工な私ですから投げられて受け身を取り損ね
「ぎゃふん」といったり、みっともないことばかりでした。成績はもちろん最低。
4年生のとき赤沼先生がクラス担任になったお陰でこの年だけはお情けでいい点数をつけてもら
えました。
軍事教練も苦手中の苦手。これももちろんいい点数をもらえるわけがありません。
戦争も終わり近い4年生のとき、御殿場の板妻(いたづま)廠舎に3泊4日の野営に行きました。
ここは現在自衛隊の板妻駐屯地になっているそうですが、当時は軍隊の汚い木造建物が並んで
いました。長い建物の中央が通路になっていて、この両側の一段高くなっている場所がわれわ
れの寝る場所です。
ところがこの建物の柱の割れ目には南京虫が沢山住み着いていて、夜な夜な寝ている中学生を
襲いに来ました。
余りご経験になった方はいないと思いますが、これにかまれると物凄く痒いのです。
虫の方もやはり味覚はあるらしく、私のようなまずそうなやつよりも幼い感じの優男がひどい
目にあったようで、夜中に痒い痒いと裸になって騒ぐのに起こされたことがあります。
器量が悪いのは悲しいことですが、南京虫に嫌われて刺されなかったのは幸いでした。
夜中に突然ラッパが鳴り非常召集だといって起こされ、営庭に整列させられたこともあります。
不器用な私ですが声だけは大きかったので、遠くにいる仲間を呼び戻すとき「〇〇帰ってこい」
などとわめかされました。
私のような不細工な男は兵隊になっていたら大変な目に合うところでしたが、戦争が終わって
本当によかったと思います。
体操もついに全くダメなままで、卒業しました。
武道、教練、体操の3科目はお情けで合格点をもらっていたので、これらの授業時間は苦痛その
ものでした。次の機会には比較的得意であり、好きだった授業の話を書かせて頂きます。