2005.3.5
明治学院中学部の思い出(通学スタイル)


                                                                                                          増田 次郎


以前に書いたテーマですが、書き漏らしたことが多かったのでもう一度取り上げさせて

頂きます。私がこの学校に入学したのは昭和
164月です。

私の学年から中学生の帽子は戦闘帽、制服は国防色(カーキー色)に統一され、ひどく

見てくれの悪いスタイルになりました。

校章だけがMとGを組み合わせた昔からのものでしたが、
1年先輩と比較するとみすぼら

しいなりでした。口の悪い母は私の姿を見て「あれも人の子、樽拾い」と酷評しました。

昔貧しい家の子供は、一般家庭が空になった樽を捨てたのを拾って歩き、リサイクルして

僅かばかりの金を稼いだといいます。

寒いときにみすぼらしい姿で樽を拾って歩く子供を憐れんで、こういったのだそうです。

母は私の姿をよほどみっともないと思ったのでしょう。

カーキー色の制服はべろべろのスフで、お洒落な友人は毎晩ズボンを寝押ししてきれいに

着ていましたが、私は不精者でしたからズボンの膝が出たよれよれのなりで平気で歩いて

いました。今考えれば母が悪口を言ったのも無理からぬことだったと思います。


入学してすぐ買いそろえたのが教科書のほかに、軍事教練で使うゲートル(脚絆)と上着

の腰を締めるベルト、それに柔道着(武道はクラスを柔道と剣道に分け、私は柔道に入れ

られました)と、小学生時代には全く関係のなかった品物を揃いました。

靴は編み上げ靴です。これは革製でまずまずの物を親が買ってくれました。

穿いていると底が減りますから(当たり前です)底に鋲を打ちました。

鋲を打ってある靴は、歩くときガチャガチャ音がするし滑りやすいし、今考えてみると

すごいスタイルでした。
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