2005.1.13
満州のこと(五族協和の精神)
増田 次郎
父の会社の新年宴会などで、おじさんたちが鴨緑江節(朝鮮と、シナの境を流れるあの
鴨緑江 -------明日はまた安東県に着きかねる)を歌うのを聞いた覚えがあります。
私は子供でしたから、もちろんこんな歌を歌ったわけではありません。
向こう岸は新義州で、鉄橋の上を鉄道車両が轟音を轟かせながら渡っていました。
鉄橋の中央部は可動橋で、船が往来できるように開くようになっていました。
鴨緑江は冬には凍結してスケートが可能になり、小学校の上級生はここで滑っていたよ
うです。私の兄も姉も他界していますから、確かなことは知る由もありません。
前回も書いたように満州という土地は素晴らしいところでした。
治安もよく、資源も豊かで、「王道楽土」を建設しようと考えていました。
日本人も漢民族も満州族も朝鮮族も蒙古族も、
「五族協和」というスローガンを実現しようと真剣に考えていたと思います。
しかし昭和20年の終戦で全てが暗転しました。
ソ連軍が不可侵条約を踏みにじって満州に侵入し、略奪、虐殺、婦女暴行などを行った
ことは皆様もご存じでしょう。
私の一家はそのはるか前に内地に帰っていたので、助かりました。
しかしあの当時、満州は空襲もないし食べ物も豊富だし羨ましいと思っていました。
日本人が十数年間苦心経営した満州は、戦後中国領土になりました。
その結果現地の人が幸せになっていれば結構なことですが、王道楽土とはほど遠く
中国国内でも後進的な地域になってしまっているように聞きます。
いろいろな考え方はあるでしょうが、私は五族協和の精神は正しかったと思っています。
残念ながら今の反日と中華思想に凝り固まった中国の人々に、この精神が通用すること
はあり得ないのかも知れません。 目次へ