2004.8.9
昔も今も夏は暑い!
増田 次郎
今年は暑さが格別です。後1ヶ月以上暑さが続くと思うと情けない限りです。
ところで「はるかな尾瀬」ではないけれど、夏が来るたびに思い出すサラリーマン時代
の思い出があります。
現役時代20年以上にわたって勤務していた岐阜県、中津川市の製紙工場は、
海抜約400mの高地にあり、朝晩は比較的涼しい土地でした。
しかし日中は日差しが強いため結構暑くて、それに前に書いたように塵や虫を嫌う仕事
で最終工程は窓を密閉していましたから、真夏の室内温度は堪えられないものでした。
女性の作業者は汗だらけで懸命に仕事をしていました。
現場の課長は彼女たちの苦労を毎日見ていますから、何とかしてやりたいと思ったのは
当然です。当時はまだクーラーが贅沢品だった時代でした。
高価な設備でしたので半期ごとの工事計画の1項目として、
「製品仕上室空調設備新設」をバカ正直に本社に提出しました。
増産、品質向上、新製品開発など利益に直結する計画は、予算が比較的すんなりとつき
ます。しかし製造現場にクーラーなど贅沢だという時代でした。
なかなか「うん」とは言ってもらえません。
ついに本社に説明に出張したとき、施設部長と一緒にH副社長のお部屋に説明に上がる
ことになりました。
ところが奮戦力闘して収益を上げていた職場だから、特別に許可を頂けると思ったのは
甘く、ぼろくそに叱られました。
「夏暑いのは今に始まったことではない。暑いからクーラーを付けたいなど飛んでもな
い。製品に汗が落ちて不良品になるだと? 汗が出たら拭けばいいじゃないか。
何を寝ぼけたことを言ってるんだ」と目から火が出るような大変な怒られようでした。
すごすごと部長と一緒に施設部の部屋に戻りました。
そこへ副社長から部長に電話で呼び出しがありました。
「しめた。ああいったが工場も頑張っているから、特に認めてやろうということになっ
たのだ」と考え部長のお帰りをにこにこして待っていました。
しかしまたしても考えが甘かったのです。
浮かぬ顔でお戻りになった部長は、副社長に
「若いやつに勝手なことを言わせるな。大体ものの考えが間違っている。君がしっかり
教育してくれなければ困る」と改めて叱られたと言われました。
ふくれっ面をして工場に戻り、ダメだったと報告したら
「本社に隠れて、闇でやっちまおう。ばれやしないよ」と言われ
「そりゃそうだ」とほかの予算を流用して設置しました。
ピカピカのクーラーに全員が大いに喜んだことは言うまでもありません。
それがスタートで次々に現場にクーラーを設置して行きました。
生産量、品質とも向上し、収益効果は大いに上がりました。
ところがそのうち事務所から「現場は涼しいのに、事務所は暑い。何とかして下さいよ」
という声が出ました。
しかし何分頭の固い課長め(私のことです)は頑として聞き入れません。
「現場が働ける環境をつくるのが事務所の仕事だ。事務所は我慢しろ」の一点張りで
つっぱねていました。ついに労組の支部長が私の所に来ました。
「事務所で働いている者も組合員です。彼らの労働条件も考えて下さい。聞いてもらえ
なければ団交を申し入れます」というのが彼の申し入れでした。
「仕方がない。それでは」ということで、実は内心はやれ嬉しやと、安普請のトタン屋
根事務所にクーラーを付けました。
「工場は現場優先。事務所を立派にする会社はつぶれる」と先輩に教えられていたし、
かつて副社長に叱られた恨みもあり、おれは暑いくらいで降参しないぞと意地を張って
頑張りました。若かったからこそ、意地が張れたのです。
ご迷惑をかけた本社の施設部長は、前に恩人としてご紹介した川口利朗様(後年本州製
紙社長)でした。
サラリーマン時代を思い起こすと、必ずいろいろな場面で川口様にご迷惑をかけ、かば
って頂いたことが思い出されます。
それにしても昔も今も暑いのには降参です。 目次へ