2004.5.21

立体音痴の嘆き


                                                         増田 次郎

立体音痴などという言葉があるとは思いませんが、私の技術者としての欠点を一言で表

現しようと思うとこの言葉が一番ぴったり来るように思います。

まずこの言葉の説明から始めます。


ある人の身体を写真で表現しようとすると、正面から撮影した写真1枚では太った人か

やせた人かわかりません。

(写真を見る人はもちろん自分の知識で情報の足りないところを補って見ますから大体

のところはわかるでしょうが、胴回りが何センチか丈が何センチかまではわかりません) 

横から写真を撮って始めてお腹がどのくらい出ているのかわかります。

頭の上から写真を撮ると、髪の毛の生えているべきところに地肌が露出しているのが始

めて露見します。少なくとも三つの方向から写真を撮らないと、その人の腹回りや鼻の

高さなどを示すことはできません。

まして胃の中、肺の中は病院でCTなど断層写真を撮らなければわかりませんね。


人体なら胃や心臓が二つある人はいません。目は二つ、鼻は一つに決まっています。

このように構造が共通な人体の場合でさえ、その人の体型がどのようになっているかを

きちんと説明しようと思えば、このように何枚もの写真を撮らなければなりません。

洋服をつくるだけのことなら、胴回り何センチ、袖丈が何センチとか主要寸法がわかれ

ば洋服ができるでしょう。

しかし主要寸法がわかっただけではその人の蝋人形をつくることはできないはずです。


たとえば自動車のエンジンを設計する場合、複雑な構造を図面上に表すことは大変なこ

とです。部品ごとに図面を書き、その部品がどう組み合わさってエンジンになるかが一

目瞭然にならなければなりません。

複雑な機械なら図面の枚数は何千枚、何万枚にもなります。

エンジンを組み立てようとしたら、どこかがぶつかって組み立てられなかったでは困り

ますから、設計者は頭の中で組上がったときの姿を思い描いて図面を書くわけです。


もちろんこうして書いた設計図で、その図面通りのエンジンをつくるのも大変な仕事です。

この図面に基づいて鋳物の木型をつくったり、プレスの金型をつくったり、エンジンが

出来上がるまでにはいろいろな作業が必要です。

設計者はエンジンのような立体を図面上に表現するために、その複雑さに応じて正面図

(立体を正面から見て描いた図)、側面図(左右の横方向から見て描いた図)、平面図

(上下から見て描いた図)、さらには断面図(立体を適当な面で切断して、その断面を

図にしたもの。これで内部構造がわかる)などいろいろな角度から見て、一定の原則に

従って紙の上に図面を書きます。

本来立体であるものを平面である紙の上に示すにはこの方法しかありません。


バラバラな正面図、側面図、平面図、断面図から機械なり建物なりの立体の姿が頭に浮

かび上がることが技術者には求められます。

逆に現実にはない新しい機械や建物を頭の中で思い描いて、図面の上に表すのが設計者

の仕事です。これができない人間は立体音痴といわれても仕方がないと思います。


立体感覚がないことは、技術者としては致命的な欠陥です。

恥ずかしながら私はこれに近い男です。

それに気がつくのが遅すぎたのかも知れません。


立体音痴のくせに図面を書いたのですから大変でした。

幸い機械メーカーの技術者ではありませんから、曲がりなりにも勤まった(そのつもり)

ものの、機械メーカーなら首になっていたでしょう。


おまけに丁定規と三角定規を使って図面を書いていた時代ですから、不器用な私は大変

な苦労をしました。丁定規と三角定規は拭いても拭いても直ぐ汚れます。

図面はこの汚れと手あかで真っ黒けになる。

一度引いた線を消しゴムで消してもきれいに消えてはくれない。苦労しました。


今から十年ぐらい前に大学に見学に行きました。

現在はCADといってコンピューターを使って機械が図面を書いてくれます。

丁定規と三角定規はもうどこにも見当たりません。

図面を書きながらその立体がモニターの画面に表示されるのです。

本当に便利になりましたね。今なら私でも機械の設計屋が勤まるかも知れません。

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