2004.5.6

サラリーマン時代の思い出(その2)

高所恐怖症


                                                                増田 次郎


高いところに上がるのが好きな人がいます。私は大嫌い。

ところが先年亡くなった私の兄は大好きでした。

往年の海軍航空隊で搭乗員として勤務し、当時の旧式な軍用機に乗ったのですから高い

ところが嫌いではやっていられなかったと思います。

ところが実の弟の私は全くダメ。どういう訳でしょうね。

顔は余り似ているとは思わなかったが、声が似ていたから兄弟だったことは確かです。

高所恐怖症は遺伝するものではないのでしょうか。


パルプ工場には当時製薬塔という塔があり、ここでパルプを製造するため木材チップを

煮るのに使う薬液を製造していました。

会社に入ったばかりで実習をしているとき学生気分の全く抜けていない新入社員どもは

特に仕事のない気楽なご身分であることを幸いに、勤務時間中にこの塔のてっぺんに上

り下界を見渡していました。はるか彼方に駿河灘が見え、北には富士山。絶景でした。

親友だったU君(故人)と上り、二人で下らない話をしていたときです。私より高所恐

怖症の程度が軽かったU君が立ち上がって端に一歩近寄ったときのことです。

私が彼のお尻にやんわりと触ったそのとたんに、彼はへなへなと座り込みました。

彼もやはり怖かったのです。二人でエヘヘと顔を見合わせて笑いました。


それから7−8年後、私は大阪の淀川工場で設計係として勤務していました。

この工場には溶剤で溶かした樹脂(ラッカー)を紙に塗る工程がありました。

ラッカーを乾燥して溶剤を蒸発させ、紙の表面に電気絶縁性のあるフィルムをつくるわ

けです。蒸発させた溶剤を活性炭に吸着させ、水蒸気で追い出して(脱着)タンクに貯

めます。しかしこうして回収した溶剤には大量の水分が含まれていますから、蒸留して

(水と溶剤では蒸発温度=沸点が違うので、この違いを利用して水と溶剤を分離する)

この水分を除かなければ使うことができません。

回収溶剤を蒸留する設備は蒸留塔といって、小さいながら高さが20mぐらいありました。


この蒸留塔から溶剤が出てこなくなったときのことです。

設計工作課には鉄工係があり、その中には高所作業や重量物運搬を担当する鳶係がいま

した。この鳶の人たちが蒸留塔の周囲に点検用の仮設足場を丸太で組んで、上から順に

塔を分解して行き何段目かに異物が溜まっているのを発見しました。

設計室で図面を書いていたら「異物が溜まっているから見てくれ」と呼びに来たのです。

現場に行ったら足場の上に上って見てくれというのです。

玉川の鉄橋を渡るのに下を見て足がすくみ、足以外のものも皆縮んだ男です。

丸太にすがって尻を押してもらい、上から引っ張り上げてもらい、組長から「チェンブ

ロックで吊ってあげようか」とやじられ、やっとのことでそこまでたどり着きました。

中に溜まっていたのは綿屑のようなものでした。

ラッカーに使っていた樹脂はエチルセルローズでしたから、もとの原料である綿屑に戻

って溜まっていたのです。


人泣かせなことでした。技術者というのは大変な商売。

その後昼休みに非常梯子で工場の中の比較的高い建物に上って高所でも怖くなくなるよ

うにと自主トレーニングをやりました。

けなげなものでした。それでもおっかないことには変わりがありません。


製造現場にいる限り、高所からは縁が切れません。

部長が足場の上を這って歩いていたのではまずいです。

膝ががくがくしながら、平然と歩いて見せました。

でも皆「オッサン怖がっている」と気づいていたかも知れません。

難儀な、因果な商売でした。


私の倅も高所は苦手です。

「瓜の蔓に茄子はならず」  二人とも技術者にならなくてよかったと思います。

でも孫は違うようです。上の孫は高校2年生。

進路選びに当たっては、考えてもらった方がよさそうです。              目次へ