2003.9.5
先生の笑顔(窪田 忠彦先生の思い出ほか)


                                                          増田 次郎

前回の国語の川副 国基先生の逸話に続いて数学の窪田先生のことを書かして頂く。

当時早稲田大学は空襲を受けて第一高等学院は全焼して校舎がなかった。もともと第一学院の校舎は現在記念会堂のあるところにあった。その昔学院のグラウンドがあった場所に(現在文学部があるそうである)木造平屋建ての仮校舎ができた。勿論暖房などあるわけがない時代である。
先生も学生も冬はオーバーを着て、着ぶくれての授業だった。

本題に戻る。窪田先生は東北帝国大学の理学部長をしておられた微分幾何学の権威者である。当時早稲田には数学科がなかった。第一学院の数学好きは東北の理学部に入っていた。第一学院・東北帝国大学数学科出身の先生が学院に何人かおられた。そういうご縁で窪田先生は退官後学院にお出でになったのだろう。

大学理学部数学科の先生が、われわれ数学が必ずしも得意でないいたずら小僧に数学を教えるのは大変だったろうとお察しする。教えて頂いたのは解析幾何であった。
先生の講義は独特だった。驚いたことにブリアンションの定理など今まで見たことも聞いたこともなかった話が出てくる。
さらには「同一平面上にあり、交わらない直線が平行線だ」
なんていう公理があるのに、先生は交わるとおっしゃる。
それも「無限遠の虚遠点」(だったと思う)で交わるというのである。
何だそれは?

われわれに理解できないような話をなさるのだが、黒板からわれわれに顔を向けられたときの先生の笑顔が素晴らしかった。私には高級な数学は理解できなかったが、先生の笑顔を見て「学問は本来面白いものなのだ」ということがわかった。

学生が興味を持てないのは、先生の方に大いに問題がある。
喋っている本人が面白くないのに、聞いている人に面白いと思えというのは無茶である。数学はわからなくても、これなら私にもわかる。これまた私の人生の大きな教訓になった。
後年工場で従業員教育の講師をしたとき、現場のおじさんたちから絶大な支持を受けたのはまさしく窪田先生のお陰である。受講者の感想に「高いお礼を払って東京から先生を呼ぶことはない。
増田部長の話が一番ためになった」とあり毎度引っ張り出されるのには参った。

自慢じゃないが、私はこの文章を書くときも常に本気である。
私が書いた文章を読んだら眠くなったでは、末代までの恥である。
余り力むと笑われそうである。超真面目の一席のお粗末でした。              目次へ