2011.9.18
ひと駅乗り換え
産後の手伝いで毎日のように次男の家に通うおばさん。
東横線元住吉駅から4つ目の駅、菊名で乗り換え、横浜線で一つ目の新横浜が行き先だ。
これに自宅から元住吉まではバスが必要で、新横浜駅からは10分ほど歩くことになる。
そんなに遠い距離ではないが、ざっと40分〜50分は掛る。
行きはそれこそ暑さの中の道行とはいえ、これも母親修行と心得、気張って向かうのだが、帰りは年相応に
くたびれホームではぼんやりと電車を待つ。そして電車に乗るやいなや、瞳孔鋭く空いた座席を探すのである。
乗り換えまでは、たったのひと駅である。くたびれた、座席はあるかと見回せば上手い具合に席は空いていた。
ヨイショと腰を降ろし、全身の力を抜く。 後からぞろぞろと電車には人が乗ってくる。座われたこの喜びよ。
只今午後の4時半、混み合う時間帯になってきた。冷えた車内で座ることは、残暑の中を頑張って歩いてきたのを
労うご褒美のような気がする。ほんの一時目をつぶり、手荷物を膝に乗せ何も考えず息を抜いた。
走り出す電車の揺れがいい、ゴトンゴトンという振動音が眠りを誘う。ダメダメ眠っちゃ、ひと駅だもの…。
と、「菊名、お乗換えの方は…」おぼろげに声が聞こえて来た。車内から人がぞろぞろ降りて行くではないか。
(あれっ、菊名?)瞬間、すでに東横線に乗り換えて座っているものと錯覚した。
そして、一瞬我に帰った。まずい! 乗り越したのだ。 この日は急行、駅は隣駅を越して走って行く。
そしてその翌日、昨日の失敗を心にとどめ、用心して座った。まさか乗り越すまい。でも乗り越したのである。
その翌日も信じられないことにまたまた乗り越した。気がつくのはいつも菊名を走り出した時点である。
(何で、何で、何で?)と自分に問いかける。ほっとした瞬間、空白の時、瞬眠なる時間があるのだ。
さすがにその翌日は座りたいのを我慢し、扉付近に立った。そして腕時計を見た。
電車の扉は閉まり、電車はゆっくり走りだした。そして少し速度をあげた。菊名の駅が近づくと速度を落とし、
停止し、一呼吸入れるようにして扉が開いた。この間1分30秒。
あの、ゆっくりとした至福の時はわずかに1分30秒だったのだ。
乗り越して、またそこまで戻るのは面倒なものだが、その日の情景を思い起こせば、せわしない日常に反し
至極のどかな時間を感じる。降りたことの無いホームであたりの風景を眺め、そこにたよりない自分がいて、
線路の脇の草花などに目をやっている。忘れてしまった何かがあって、そんな光景に郷愁すら感じるのだ。
何よりも乗り越したあの一瞬の眠りが妙に体を軽くしている。
しかし、時は金なり。
ひと駅、1分30秒。座るか立つか、さて、あなたならどうする?
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