2011.5.11
電話ボックス
亭主が庭園管理している仕事の一環として、その構内にある電話ボックスの清掃もしている。
携帯電話が普及し、各自持つような時代になって10年余り。今や公衆電話が撤去された場所は多い。
この構内入口の公衆電話も3台から2台になった。いまどき並んで2台も存在するのが不思議なくらいである。
しかし、今回の東北大震災では携帯電話が通じず、公衆電話が大活躍したという。
わが家の下宿生も、あの日、地方にいる両親へ公衆電話で連絡を取ったようだ。
公衆電話には列が出来ていたと話してくれた。あらためて非常時における公衆電話の必要性を感じた。
この電話もきっと役に立ったのだろう、そう思いながら、たたみ半畳もないその中に入り真っ先に受話器を拭いた。
東北大震災の時、一体何人ぐらいが利用したのだろうか。この電話の世話をしているせいか少々気になる。
コードもひと拭きして、ガチャンと受話器を戻し今度は電話機全体を拭いた。
10円玉を入れる時の仕草や、話が途切れないように追加の硬貨を用意する姿、相手に掛らなかった時に戻ってくる
硬貨を取り出す時のわびしさなど思い浮かべると、なぜかこの電話機が愛おしく思え、思わず丹念に拭いてしまう。
照明や天井の桟、四隅をていねいに拭く。隅々まで掃除してあげると、小ざっぱりして気持ち良い小部屋になる。
全面ガラス張りのこの小さな電話ボックスの空間は、周りがよく見えるのに妙に孤立感と閉そく感がある。
扉を木片のくさびで止め、開いたまま掃除するのだが、この仕切られた空間は5月になると、がぜん蒸し暑い。
そして四方のガラスを軽く絞った濡れ雑巾で拭き、水きりワイパーで、さっとその水気を拭きとる。
水きりワイパーが細かい汚れを落とし透明感を増したガラスを演出する。
今の季節、ガラス越しの向こうには緑が広がる。新緑の香りを感じ、ガラスのキャンバスをからぶきする。
はたして電話ボックスで電話を掛けている人たちは、このガラスを通して景色を楽しんで見ているのだろうか。
それとも、話しながらただぼんやりとあたりを見ているのではなかろうか。
いや、時によっては、透き通ったガラスの中で話している姿を見られたくない人もいるのではなかろうかと思いやる。
いつでも誰でも受け入れる公衆電話。
小さな床に水を流し掃き清め、私は誇らしげに電話ボックスの掃除を終えた。
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