2008.4月2日
気分は容積に比例する?



隣駅の大型スーパー。レジで支払いを済ませ、急いで食材を買い物袋に詰める。

短気な亭主との買い物である。とかく気持ちがあせる。と、亭主が上機嫌でこちらを見ているではないか。

何で上機嫌? うーん、なるほど。亭主の右手にはたっぷり積まれたアイスクリームを見た。

そもそもソフトクリームたるものこうでなくてはいけないと亭主の笑顔は物語っているのである。

ご存知アイスクリームを入れるコーンは三角錐。この三角錐の内部を満たしてから、外周一杯ぎりぎりの線

から螺旋形を描いていくのが正当なるソフトクリームと考える。その描く螺旋形が鋭角か、鈍角かでソフト

クリームの容量はだいぶ違ってくるが、そこは値段との釣りあいもある。

ところが、この店で売っていたソフトクリームときたら、今まで描いていたソフトクリームという概念をく

つがえしてしまったのである。いやいや、この店も以前はたっぷり派を誇っていたはずなのだが、ある時点

から、若いアルバイトの女性によって、ほっそり上品な形となってしまったのだ。

亭主が「これじゃ、もう買わないぞ」とダメ出ししたソフトクリームとは、コーンの三角錐の中にほっそり

とそそり立ち、まるで外国の教会の屋根のような形を呈していた。

確かに口を汚さずに上品に食べられるかもしれないし、溶けてきてもコーンの外側にこぼれる心配もないが

、ソフトクリームたるも、所詮上品とは言いがたい。ソフトクリームの醍醐味は豪快かつ自由に、そしては

かなくも豊かさを味わうひとときなのである。

亭主はソフトクリームを作る店員が替わったので一か八か買ってみたのだと言う。

230円で一か八かもないと思うだろうが、不思議に量というものは気分そのものに作用するのだ。

「若い女の子より、やっぱりオバサンが作ると違うな」。

たっぷり盛られたソフトクリームを食べながら、めずらしく亭主がオバサンをほめた。



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