2008.3月2日
母が逝って



母が逝って、もうすぐ49日。納骨をすると不思議に気持ちが落ち着くものだと住職は話していたが、なる

ほど納骨してみると多少安堵する。安心したものの、日に日に亡くなった母への思い出がよみがえる。

パソコンに向かうと母の面影を追って絵を描いているのだ。そして描いた絵を見ながらまた母を思い出す。

母が似合った水色のオーバー。昭和30年代、まだまだ日本は貧しくて、衣生活も質素だった。昭和3年生

まれの母。母はいつも地味で汚れがめだたなくて無難なものを選んでいたのに、ある日淡い空色のおしゃれ

なコートを買った。母の好きな色をそこに見た気がした。銭湯では立ち込める湯気の中、若くて母の白い肌

がひときわきれいに映った。そんな母の姿を誇らしげに思ったものだ。水道の蛇口から出る水も柔らかい母

の手で飲むといっそうおいしく感じられた。母との思い出が絵になって語りかけてくる。

晩年の母の姿は寂しく切なかったのに、私の描く絵の中の母はどれも若くて、こどもを育てる喜びに満ちて

いる。亡くなるまでの2年半は、病院から施設へ転々とし、ベットでの生活、車椅子の移動となったが、

最後までぐちひとつ言わなかった母。介護してくれる方々へ感謝をし、父が見舞いに持ってきた赤いバラを

うれしそうに眺めていた。無口な母は最期までさみしいくらい無口だった。


牛乳が特別好物だったとは思えないが、こちらが食べたいものを聞くと「牛乳を飲みたい」と答えた。

亡くなる前の日、母はコップで牛乳をゆっくりと飲んだ。私にささえられゆっくりと、ゆっくりと飲んだ。

ごくん、と言う音さえゆっくり運んだ。娘に抱かれて飲んでいるというのを、それこそゆっくりと味わって

いるかのように思えた。あの時の母の体の重み、牛乳を含む口元を思い出すとたちまち涙が溢れる。

思い出すだけになってしまった母。ああ、お母様、いなくなるということはこういうことなのですね。

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