2006.10月15日
相撲甚句




「お願い、歌って!」おばさんたっての頼みである。

「ドスコイ、ドスコイ」亭主が音頭を取り出すと、

元相撲取り、秋田(アギダ)訛りの樋渡(スワタス)さん、「まいったなー」と言いつつ、

「んでばぁー、『一人娘』を」と歌い出した。

    ハア〜、一人娘を嫁にやるには タンス長持ち鋏箱 

    これほど こまごまやるからにゃ

    二度と帰るな 出てくるな

    父さん、母さん、そりゃ無理よ

    西が曇れば風とやら、東が曇れば雨となる

    千石積んだ 舟でさえ、港を出るときゃ まともでも

    風の吹きよで 出て戻る

    まして 私は嫁だもの ご縁が無ければ出て戻るよ〜

亭主とおばさん、心にぐっとくるものを感じ聴き入った。

哀調を帯びた調子がいい、ユーモアある歌詞がいい。

「ドスコイ、ドスコイ」と合いの手を入れ、亭主と共に「いい!」感嘆の声をあげた。


樋渡さん、相撲甚句を老人ホームでご披露する時は、この『一人娘』に決めているそうだ。

「いや〜、この歌詞(カス)だと、みんな涙を流すからなー」。

樋渡さんの「な」は、標準語の味気ない「な」では無い。

柔らかい響きを含んだ、秋田なまりの「ンな」である。

声の艶と郷愁を感じさせる語り口、聴衆をほろっとさせるのは当然である。


相撲甚句の歴史は、約270年前の享保年間に始まり、江戸末期〜明治にかけて流行したという。

お座敷で覚えて力士が地方巡業で唄ったのが始めといわれているようだ。

相撲甚句は5〜6人の力士が土俵に上がり輪をつくり、そのうちの1人が真中に立って唄うのだそうだ。

周りの力士は手拍子を入れ、ドスコイやホイと合いの手を入れるという。

その土地の名所甚句(地句)を七・七・七・五の4句から成る句にし、即興で歌うのだ。


「土俵の真ん中で唄ったからな。5、6人の力士がまわりでドスコイ、ドスコイッ て言ってな」

昔土俵で相撲甚句を唄った彼である。巡業の最後の日に唄う『当地興行』を解説付きで、軽く口ずさんだ。

     当地興行も本日限りヨ 勧進元や世話人衆 ご見物なる皆様よ

     いろいろお世話になりました

     お名残惜しゅうは候えど 今日はお別れせにゃならぬ

     我々立ったるその後は お家繁盛 町繁盛

     悪い病の流行らぬよう 陰からお祈りいたします

     これから我々一行は しばらく地方を巡業して

     晴れの場所で出世して またのご縁があったなら 再び当地に参ります

     その時ゃこれにまさりしご贔屓を

     どうかひとえにヨー 願いますヨー

相撲が好きだった父の葬式の日、祖母に言われ、庭に土俵をこしらえ兄弟で相撲を取ったという。

「父親は相撲が好きだったからな」。相撲甚句も父から教わったと教えてくれた。

甚句には古典もの、名所甚句、お笑い甚句、結婚甚句、お別れの唄、力士偏があるそうだ。


「奥さん、『当地興行』の終わりはナ」コップ酒を飲み干すと、彼は唄の続きを歌った。

     折角なじんだ皆様と 今日はお別れせにゃならぬ

     いつまたどこで会えるやら それともこのまま会えぬやら

     思えば涙が パラリ パラリと

粋な樋渡さん『当地興行』で今宵の酒宴を仕舞った。



  ハアー、
    思いもかけず  相撲甚句に 時を忘れて 酔いしれる

    唄のうまさと  五升の酒と 肌の色にも 華が咲く

                       ドスコイ、ドスコイッ

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