2006.9月14日
二つの季節



さて、どの服を着ていこうか。

思い出したように夏の日差しが戻って来る日もあるが、9月はいきなり寒くなる。

学校の制服なら10月1日の衣替えまで夏服である。

そう考えると夏服がまだまだ幅をきかしてもいいようだが、いざ外出となると考えてしまう。

今秋の旬ファッションならいざ知らず、大概はタンスの中のものを引っ張り出して着ることになる。

いくら上質のものでも一度水を通してしまった衣類はどうしても布の張りと光沢に欠けくたびれて見える。

そんな服たちを眺めていると、この時季は他人に夏の疲れを感じさせてしまうのではないかと着るのが臆

病になる。たとえ着用していないものであっても、見飽きているせいか、やはり精彩を欠いているのだ。

その日の気分や調子に加え、季節感をうまく取り入れ服を着るということはけっこう難しい。

季節の変わり目、その人らしさが余計装いに滲み出るものである。


外は雨。夕方からの外出、さて、何を着て行こうか。

肌寒くはあるが、そろそろ仕舞う夏服をクリーニングに出す前に、もうひと頑張りさせようと、レーヨン

素材のグリーンのスカート、黒の半袖カットソー、深いグリーンのカーデガンを選んだ。


電車の中はまだ冷房が効いていた。

前の座席には淡いピンクのバラ模様がプリントされた長袖ジャケットを着た中年の女性が座っていた。

テーラーカラーのジャケットは甘くなりきれないバラ模様。透けた素材は夏の名残りを思わせるが、

茶色のスカートは秋を感じさせる布地だった。ガチッとした黒い靴は彼女の細い体と、バラのジャケットに

似合っていなかった。それらが彼女の真面目さを一層引き立たせているようにも思えた。


その横に座る二十代の女性は、ピンクのTシャツに白いブラウスを重ね、飾りっけないジーパンに使いやす

そうな大きな黒の革のバッグを膝に乗せている。靴はありふれたズック。洒落気なしが返ってお洒落である。

きっと堅実な彼女は季節に惑わされずに過ごすのだろう。

と、ベージュのフレアースカートが颯爽と前を過った。

一つ向こうの座席に座ったその女性は、薄ピンクの傘を脇に立て靴を直した。

靴は茶と白のコンビで上質の革と思われるウォーキングシューズ。彼女は身をゆっくり起こし濃いベージュ

の上着を直した。茶色のバックから、おもむろに文庫本を広げた様は、まさに秋の風景であった。


男性も乗ってはいるが、女性の服装が目に付くものである。

こちらに背を向けてつり革に掴まっている女性の靴は、目を引く鮮やかな赤だった。

赤い靴、厚手の黒いタイツにグリーンのスカート、薄紫の長袖セーターの上に金色の太いバックル姿は、

藤城清治の影絵を思わせる色使いである。思わず布のステンドグラスに見とれた。

その横の女性は白いレースのスカートにTシャツ姿。軽い白のサンダルシューズが夏の思い出を語っている。

夏、秋、二つの季節が電車に揺られながら並んで立っていた。


服は考え方でもある。服は自分の分身であるのかもしれない。

形はなりと読む。その人なりの『らしさ』が美しく思えた。

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