2005.10月25日
峠の花屋
「おい、おい、井田峠入口だってさ」亭主が笑って言うのも無理はない。
2車線のバス通りを折れ、わが家へもう一歩というところで急坂となる。
本当に峠なる命名がよく似合う場所である。
ゆるい勾配のバス通りからわき道に入ると、勾配はややきつくなる。
ややきつくなったところで左折。
あと10メートル程でわが家となるのだが、ここが一番の急勾配、難所なのである。
「こんな急坂、運転したくない!」タクシーの運転手に言われた程である。
そんな坂だからか、一歩一歩踏みしめながら人々は上る。上りざまに、しばし腰を伸ばして行く手を見る。
この坂を上る者と、膝を伸ばしそろそろ下りる者とが、すれ違う時、何気に交わす一礼がある。
「お気をつけて」「きついですね」の意味を込めてのものである。
山の頂上には老人の憩いの家、障害者の施設、公園、大規模な分譲住宅がある。
多くの人が行きかう坂であり、下りにあっては眺めの良い坂なのだ。
平地では会釈もせず通りすぎる人が、この急坂では会話まで交わすのだから不思議である。
そんな坂の入り口に花屋が出来た。
店の脇のポストに屋号が小さく書かれ、その上に太字で井田峠入口と表示されている。
新参者の花屋に“井田峠入口”と、あっさり命名されたわけである。
井田峠と名づけた花屋の店先にはセンスの良い花、しゃれたプランターなどが取り揃えてある。
この花屋、種類の豊富さに加えて色選びがいい。
駅からほど遠く、商店街からかけ離れた、立地条件すこぶる悪い峠の入口に、おしゃれな町の青山、
麻布あたりに似合うディスプレイで登場したのである。
花は見ても楽しいものである。角地の花屋は店に沿ってぐるっと坂道に沿って花を置く。
夏には苗が育って、トマトもナスも実を付けていた。
向日葵は枯れて垂れていたけれど、あれから種でも収穫したのだろうか。
ひと夏かかって出来上がり、つる下がっていたあの瓢箪はどうしたのだろう。
あっちこっち、ハンギングに吊るされた商品の花たちは大きく育って、まるまる太っている。
蓮の花が開くのを見た。睡蓮の咲くのも見た。今は枯れて鉢に突っ立っている。
ススキも中秋の名月の頃、素敵な壷に飾られ店先で相当頑張っていた。
今は萩である。先日、わが亭主が思わず尋ねた水芙蓉はまだ健在だ。
おばさん同様、どうも峠の住人たちは買わずに見て楽しんでいるようだ。
とかく売れない花というものは誰にも愛されず散って行くから可哀想である。
しかし、売れなくても、ここの花屋の花たちは幸せかもしれない。
つぼみから満開の頃を経て萎れるまで、充分に上り下りする人の目を楽しませている。
とにかく殺風景だった坂道が、華やいでいるのだから有難い。
「ちっとも、売れてないみたい。金持ちのお坊ちゃまがお店を経営なさっているのかしら」。
「きっと、お花が趣味なのよ。続くといいわね」。
「ここで存分楽しませてくれるから、もうそんなに、庭には植えないの」。
水をやる店の人に軽く挨拶しつつ、種類豊富な季節の花をじっくり鑑賞しながら、
行き交う人々はこんな会話を交わし通りすぎるのであった。
花屋のご主人様、お店が継続出来ることを祈ります。 峠の住人より
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