2005.10月17日
ピアノの履歴書



「処分しちゃえばいいのに」たびたび父に諭す私。

弾きもしないピアノは場所ふさぎである。実家がここに引越してきてから20余年。

専用の部屋もなくピアノも肩身が狭くなっているとは言え、姿だけは依然堂々としてる。

六畳の座敷に置いたり、台所に置いたりしているがどうも按配が悪い。

不用の大物家具と化したピアノではあるが、家族の歴史を知る一員でもあるのだ



老所帯、バリアフリーでもないところに、掃除機など日常用具と家具が点在する。

ピアノのそばにテレビがあり、一日中テレビを見ている父。地震が来たらどうするのだ。

地震対策もあって、部屋はなるべくシンプルに広く使って欲しいと思う亭主とおばさん。

処分したらという提案に、父は古いアップライトのピアノを寂しそうに見つめた。

ピアノが大好きで熱心に弾いていたのはこの私。思い入れと愛着を断ち切っての提案なのである。

昭和28年    玩具のピアノ購入

昭和30年    紙鍵盤(バイエル教則本綴じ込み付録)にてピアノ練習開始

昭和32年   足踏み式オルガン購入(49鍵・桜材) 

昭和34年〜38年  東横線、自由ヶ丘。ひかり街にある貸しピアノにて練習

昭和39年   ヤマハのアップライトピアノ購入

これが私のピアノ履歴書である。



ヴァイオリンを弾く父である。娘に楽器を習わせようと思ったのは言うまでもない。

「言葉が通じなくても音楽は世界の共通語」と父は私に教えた。

父は品川にある小型モーターを製造する中小企業に勤めていた。

社長のお嬢さんは私と同じ年令で、会社の事務所と住まいは同じ棟だった。

お嬢さんにピアノが届いた日、父は「わが家にも」と母に話した。

同じ年の娘を持ち、ピアノの好きな娘を持ち、そして音楽を愛するという父の誇りがあった。

だからこそ、ここは背伸びしても社長と張り合う父だった。

薄給の身の上である。ノーサインの母ともめたが、父の押し切りでピアノはわが家にやってきた。

六畳の洋間にでんと置いた。洋間と言えど畳敷き、見栄えも響きもあったものではなかったが、

新しいピアノの匂いが部屋を満たし、つややかな黒光りの中に家族の姿が写った。

うれしくて、うれしくて、大切で大切で、暇さえあればピアノの前に座った私。

「慶子のいい友達だな」父はよくこう言ったものだ。



思い出は思い出。とにかく部屋は広く使うに越したことは無い。

「処分した方がいいって」と強行路線のおばさん。

「あの頃、一番高いピアノを買ったんだけど…」父はやさしくピアノを触りながらつぶやいた。

そんな様子を見、亭主は「おやじさんには、おやじさんの思い入れがあるのだろう」とおばさんを諌める。

地震が来たらどうするって心配していたのは誰、同志よ寝返るなかれ!  

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