2005.10月3日
粗品の人の喜びよ
贈り物というのは、開けて喜ぶことを想定して贈るものである。
だから人に贈り物をする時は、もらってうれしいものをと真面目に考える。
この真面目がくせ者で、とかくつまらぬものを選んでしまうのだ。
昨年、新聞社主催の読者会議があった時のこと。入り口で書類の入った下げ袋と封筒を頂いた。
下げ袋には会議での資料、B5サイズのノートとボールペンが用意されていた。
そして、包装された小さな包みが入っていた。手渡された封筒は交通費かも知れない。
おばさんのOL時代、交通費は2千円が相場だったと覚えている。
会社見学に来た学生さんに「少ないですが」と言って漏れなく差し上げた金額でもある。
集まったメンバーの中にはかなり遠方から来ている人もいた。
この会場まで比較的近距離で来られるおばさんですら、バスと電車で往復1160円だ。
昨今、不況相場で出し渋っているとは言え足代の千円は出すだろう。
封筒の中身、すぐに見たいが開けて確かめるのはハシタナイ。ここは辛抱。
会議の初めに挨拶があった。
「皆様にお配りしました袋には今日使う書類などいろいろ入っております。お忙しい中、お越し頂きました
お礼として詰まらないものですが…」。小さな包みは感謝の印ということらしい。
会議が済んでの帰り道、歩きながら気に掛かっていた封筒を開けた。
何と一緒に駅に向っていた女性も開けているではないか。
「電車カードだわ」互いに顔を見合わせた。千円分のイオカードだった。どう思ったかはご想像に任せよう。
向田邦子著のエッセイ「無名仮名人名簿」の中「スグミル種」というのがある。
頂き物をすると、すぐに見たくなる人間だと書いているが、我々もまさにその種なのである。
電車の座席に座ったとたん、あの丁寧に包装された包みの中身が見たくなった。
下げ袋から引き出し、開けようか迷った。右燐の紳士もこの中身が気になるのか、はやく開けてくれといわん
ばかりの様子なのだ。料簡が狭いせいか見せたら損する気分になった。
下げ袋に戻し入れたものの、やはり気になる。見せてなるものかと、袋の中でゴソゴソ包装を解き始めた。
袋の中では手が思うように動かない。ケチ心も見たいという心のときめきにはかなわない。
そんじゃ、見ろとばかり、下げ袋の上で堂々と包装を解いた。包装の下は箱だった。箱の中身は如何に?
燐の紳士は、おばさんとまるっきり同じ視線でそれを見る。何と左燐の青年の視線も感じとったおばさん。
つり革の前の連中もこちらの手の動きに注目なのだ。緊張が漂う。期待を持って中身を出した。
「これか」と思った瞬間、あたり空気が和らいだ。
さて、あの心のときめきをくれた粗品。一体どこへ仕舞ったのだろう。
確か時計の機能を備えた電卓だった気がするのだが…。 目次へ