2005.9月16日
ボケ、時々晴天なり


「みどりちゃん、忙しいのかしら」母が私に問いかける。

「みどりちゃんって誰?」私は父に問いかける。

「みどりちゃんって誰?」。父と私が不思議がると、母は黙ってうつむいてしまった。


近頃、母との会話にみどりちゃんなる人物が登場する。

「みどりちゃん、そこでさっきも、おままごとしていたの。あの子おままごとが好きなのね。

大人なのか子どもなのか、何だか変な子」と廊下の方へ目をやる母。

存在しないみどりちゃんではあるが「きっとおままごと好きなのよ」と相槌を打った。

ボケかまことか分からない様子を呈してはいるものの、

「勝手に産んでごめんなさいね。生まれてきて良かった?」と人生の核心に迫る時もある。

「イヤだ、あなたボケたの?」ボケていると思われる本人にこう言われてしまうことも。

まだらボケなるものがあると聞くが、とにもかくにも妙にピントがあう日があるのだ。



そんなある日、PTA時代の友人、Nに会った。

団塊世代、互いの健康状態を話しつつ、年老いた両親の話へ移行する。

「父が死んで寂しかったのね、追うように母が逝ってしまったわ」とN。

父親は晩年、まだらボケであったと言い、病院での一コマを話し始めた。

久しぶりに父親の入院している病院へ見舞いに行ったN。

「どちらさまで…。すいまへんな、家内はあいにく出かけております」。

ベッドで父親が済まなそうに言ったそうだ。

「イヤだ、私、私。お父さん、私よ」とNが言っても、分かりませんなと首を振る。

「申し訳ありまへんな。ちょっと買い物に行くと出て行ったものですが、家内のちょっとは

2時間位かもしれません」。こんな調子で父親とNはしばらくやり取りをしたと言う。

娘の顔も忘れたのかと口惜しくもなり、悲しくもなり、「私よ、○○よ」と詰め寄ったN。

「突然、私が分かったの。そして父がこう言ったのよ。毎日、来ていたら忘れないよ。だって」。

あの時ほどぎくっとしたことはなかったとNは話した。


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