貴乃花引退に思う


昭和30年代は風呂屋を利用する家が多かった。

風呂屋は午後の3時に開き、人それぞれ風呂に入る時間帯というのがあった。

この流れを変えてしまうのが年末の紅白歌合戦、力道山の出るプロレス、それと大相撲。

若乃花と栃錦の取組の時などは風呂屋はガラガラ。商店街では電気屋の前、そば屋のテレビに人

は群がった。

掃き清められた土俵は無から始まる。相撲好きは仕切りの間にあれこれ予想し、勝負。

一瞬息をのみ、名勝負に酔いしれた。

大鵬、朝潮、北の海、千代の富士など強い力士はそれぞれ魅力があった。

わが家の子どもたちは相撲にとんと興味のないサッカー世代。

それが若貴兄弟の登場で相撲のファンになった。相撲の楽しさなんぞ忘れかけていた大人たちも

熱狂させてくれた。若乃花、貴乃花がいたから他の力士の名前も覚えた。

兄弟対決のあった夕方、「早く帰って見なけりゃ」と家路に急ぐ人々。栃若時代をほうふつさせた。

今場所、引退を決めた貴乃花の無残な相撲は相撲協会への提言とみた。

酷使は禁物、興行回数を減らしてはどうなのか。けがを直す暇もなしと思える。

力士あっての相撲協会。体力相撲なんか見たくない、技の相撲が見たいのだ。


                                 2003年1月24日付 東京新聞朝刊
                                        「レディスアイ」に掲載     目次へ