8 マジュリス民主主義ー諮問議会選挙

オマーン初の女性議員候補者

・8月1日(月)

「ハムラ、イブラ、ソハール地区で昨日諮問議会議員候補者を選出した。今日はサハム、ニズワ、アル・カビ−ル地区で指名のための選挙が行われる」と新聞は伝えている。今日からは選挙もいよいよ後半戦に入るところである。

1人区のハムラでは、8人の候補者が立ち、251人が投票して2人の諮問議会の議員候補者を選出している。同じ1人区のイブラでは、立候補者8人、投票者数は350名、そして2人区のソハールでは立候補者22人で投票者数510人とある。かくして選出された1人区2名、2人区4名の議員候補者の中で政府から指名される各1名、2名が諮問議会議員となるしくみである。

私の部の部長アハメッドに選挙に行くのかをきくと、投票権がないのだという。次席の女性マラックにきくとやはりないという。ここは基本的には部族社会。その土地土地で部族ごとに有力者が決まっていて、役所も基本的には部族のシェイク(族長)と相談して投票者を選出しているのである。アハメッドもマラックもオマーンでは0、何%に入る超エリートである。しかし、アハメッドはアフリカからマスカットへの帰国者、しかも兄弟の中でも下の方、マラックも一般家庭の女性とあっては、投票権は与えられないのだ。

それに引きかえ、昨年入省したばかりのアハメッドは、昔からマスカットで商売をしている財閥の長男で、彼自身も鶏卵会社の社長をしており地域では名が知られている。したがって、シェイクの推薦により、彼は選挙権を与えられているのである。

「なんだ、オマーンはちっとも民主的でない」と言われるかもしれない。人々は何か問題があればつねづね、シェイクや選挙権を有している人の所に相談に行く。部族社会では、これらの人々は民衆の問題を解決してやる義務があるのだ。かくして、選挙権を有する人々は民衆の求めるものはよく知っている。そういう人が議員候補者を選ぶのであるから、政治は民意が反映されて十分に民主的なものとなるのである。

・2日(火)

本日のシーブでの選挙で女性が初めて諮問議員候補者に選ばれる。シーブは2人区。立候補者は女性4人を含む24人。女性197人を含む640人によって投票が行われた結果、4人の議員候補者として女性1人が選ばれた模様。もちろん、オマーン初の快挙である。

8月の慈雨

・3日(水)

8時の夕食が終わった後、女中のフロアがなにやら叫んでいる。「ウオット?」と聞きかえすと「マスター、レーン」という。「なに!雨だって?」と玄関に飛び出して見ると、なるほど雨が降っている。それもなかなか雨足が強い。風もでている。

今日の昼のBBCテレビでクウエ ートからシャマールが南下していると報じていたが、早くもオマーンに到達したのだろうか。とにかく嬉しい雨である。しかも8月の雨だ。休暇中の7月中旬にもマスカットで雨が降ったというが、オマーンでこんな雨が降るのは本当に慈雨である。

夜8時のラジオ・ジャパンは東京の気温が気象庁の観測史上最高の39・1度を記録したということ、福岡市が夜間に6時間の断水を始めたことを報じていたが、ここマスカットには8月というのに雨が降っている。気温も私が帰任した頃には34〜5度であったのに、2、3日で40度を越す暑さに戻った。だが、また昨日から33、4度に落ちている。日本と好対照で涼しく、雨の降るマスカットの夏である。

イエメン関係では、イエメンの代表団がオマーン=イエメン国境に到着。内戦時に国境地帯に避難してきたイエメン人送還の実現に努めた。4週間以来、何千という内戦におけるイエメン難民が国境に押しかけた。オマーン側はこれに対して食料、宿泊所、医薬品などを提供してきたという。

また、サレハ・イエメン大統領は内戦が終結して初めて、「本日アデンに入り、アデンを冬の間の首都とする」と宣言した。大統領は内戦の損害を費用40億ドル(約4千億円)、インフラ等の損害35億ドル(約3千5百億円)の合計75億ドル(約7千5百億円)と集まった人たちに説明した。

ヒロシマを大きく報じるオマーン

・7日(月)

花輪を捧げる村山首相と記念碑の前で献花する一般の人々の写真入りで、昨日の広島での原爆記念式典の記事が大きく今日の新聞に掲載される。

以前に内陸部のニズワの古い金銀ス−ク(アラブの市場)を訪れた時に、オマーン人に「貴方は日本人か?ヒロシマに原爆を落としたアメリカをどう思うか?」と聞かれて、ヒロシマへの関心の高さに驚いたものだた。さすがに最近は日本を知らないオマーン人はいない。だが、日本に関心があるとはとても思えない地方の一般の人が、ヒロシマのことをよく知っているのである。これはオマーンだけには限らない、UAEでも他の国でもヒロシマへの関心は高い。

「世界で初めて原爆で被災したヒロシマは、被爆49周年目の昨日、世界に原子兵器の廃絶を求めた。平岡広島市長は、世界の指導者にすべての原子兵器の廃絶を訴えた。村山首相は、5万名の被爆者やその親戚の人々の前で、日本は原子核の被武装、原子兵器の廃絶に努力する旨を述べた。あの原爆が投下された午前8時15分に、出席者全員はうだるような暑さの中1分間の黙とうを捧げた。

同市によれば、原爆による死者は5110名、後遺症で亡くなった人も含めれば犠牲者は18万6940名。土井衆議院議長、原参議院議長もこの式典に出席。平岡市長は核兵器廃絶のための具体的な手立てを世界に示すよう政府に求め、村山首相は北朝鮮の核疑惑に対して国際社会が一致して適切な手段をとること、日本は核3原則、『造らない、持たない、持ち込まない』を維持することを強調した。

日本は第2次世界大戦に敗れてから、国際紛争解決のために海外出兵を禁止している。ナガサキもヒロシマの後に被爆して7万人が犠牲となった。日本では、戦争はまだ苦い討議の主題であり、日本のアジア征服が原爆へとつながったことを国は十分認識すべきであると日本人の大多数は考えている。

被爆者の数は年々減っていくが、ヒロシマの悲劇はいかなる理由によっても正当化されない、と被爆者は考えている。放射性の病気で、何年間も入退院を繰り返してきた被爆者のサイトウヨシオさんは、北朝鮮の核疑惑及び武器協定は大国の原子力兵器を減少させてはきたが廃絶に至ってないことに大変心を痛めている」

新聞報道はこのように伝えている。平和の堅持を国是としているオマーンならではの熱っぽい報道なのかもしれない。

・9日(火)

「10月からの観光客シーズンを迎えるアル・ブスタン・パレス・ホテルでは、昨日60名のホテル従業員が参加して海岸の清掃を行なった。ホテルの総支配人は、この活動はきれいな環境を保つよう人々を教育し、環境保護への社会的な関心を高めるねらいもある」と今日の新聞は報じている。

そして、私の知り合いでもあるこのホテルの総支配人のオマーン人が陣頭に立って、従業員とともに浜辺を清掃している姿の写真が大きく載っている。

感心するのは、大ホテルの総支配人がオマーン人であること、またそのオマーン人が従業員の先頭に立って掃除をしていることである。このようなことはアラブでは珍しい。大概のホテルの支配人は外国人であり、アラブで著名な人物が自ら掃除を買ってでるのもまずお目にかからない光景だ。オマーンならではの新聞記事ではなかろうか。

マスカットに着いた人なら誰もが町がきれいであることに驚く。ゴミ1つ落ちていないと言っても過言ではない。前出の新聞記事には、「オマーンの浜辺のきれいさは世界有数のものである。これはオマーン政府の方針、オマーン警察及びマスカット市役所のおかげである」と書かれている。だが、民間の人びと、一般の人びとの間にも環境をきれいにという意識はきちんとインプットされているのだ。

イエメンからの逃亡者からオマーンに持ちこまれた武器を積載したオマーンの2機の軍用ヘリコプターがサヌアに到着した。イエメン政府はオマーン側の返還協力に感謝の意を表明している。

武器博物館にみる歴史と軍備

・11日(木)

今日は木曜日で、役所は休み。オマーン歴史協会のメンバーと武器博物館の見学に出かける。9時に玄関前に集合。

文化に力を入れているオマーンのこと、規模は小さいが、いくつか博物館がマスカットにはある。子供博物館、海洋科学センター、自然科学博物館、オマーン博物館、オマーン・フランス博物館、武器博物館等々、またギャラリーも何カ所か設けられている。

休日でも開いている博物館には行くことができるが、休日には閉館する博物館は、勤めを持つわれわれには行きにくい。日本からの客を必ず案内する妻が、面白いから1度行くようにと勧めてくれていたルイの武器博物館も木曜、金曜と閉館してしまう。今まで訪れるチャンスがなかった武器博物館への念願の訪問である。

これもオマーン歴史協会のおかげだ。今日は休日にもかかわらず、協会員のために特別に開館してくれるという。オマーン歴史協会はオマーン人、それに外国人(主としてイギリス人)をメンバーとするオマーン好きの人びとの集まりである。毎週、月曜日の夜にその道の権威者の講義や映画が上映され、週末には砂漠や史跡を訪ねる小旅行を楽しむ。

私もオマーンに赴任した1992年1月以来、隣家に住むドイツ人夫婦の勧めで英語の勉強も兼ねてメンバーとなっている。日本人メンバーは私ども夫婦だけなので、結構親切にしてくれる外国人もいる。 今日はその仲間たちと一緒の見学なので、若いオマーン女性の他に、オマーン人の武器博物館長も出勤して自ら案内をしてくれる。

この博物館は、元来オマーン内陸部とマスカット・マトラを結ぶ要衝の地・ルイに建てた王様の城跡に建つ。入口にはその歴史と構造の説明がある。また、武器という名がつくこの博物館には、武器の展示の前にオマーンの歴史が、各時代の段階ごとに区切ったいくつかの部屋に展示されている。

オマーンがマガンと言われ、メソポタミアと交流のあったBC2千年の頃、ペルシャのアケメネス王朝、サッサン王朝に支配されたBC6世紀からAD3世紀までの頃(この間にファラジュと呼ばれている灌漑システムがオマーンに伝えられた)、この間のイエメンからオマーンへの移住とアズド族によるオマーンの統一、630年のニズワにおけるイスラムへの帰依、その後のジュランダ王朝、3世紀から13世紀までのソハールを中心とした盛衰、16世紀以降のポルトガル時代、17世紀以降のヤアルブ王朝、18世紀以降の現王朝のブサイード王朝の歴史が古文書や古い絵画の展示と共に、説明されている。 どれも分かり易い。それに質問があれば、今日は館長にも尋ねられることになっている。

歴史の展示の後に、スルタン軍の展示が、陸・海・空の3軍別にいくつかの部屋に分かれてつずく。各部屋には、各軍の成り立ち、国への貢献、歴史などの説明と共に、関連軍事文書、昔から現在に至るまでの各種装備などが展示されている。それに、ロイヤル・ガードの展示室もある。エグゾセ・ミサイルなども実物が展示されていて興味深い。屋外には、塹壕、野戦病院、戦車、軍艦などの実物が展示されている。日本ではなかなか見ることのできない展示品ばかりである。

妻の言うように、規模が大きいとは言えないが、なかなかに見ごたえがある。今日は大いに満足した。正午すこし前に歴史協会のメンバーと別れて家に帰る。

ちなみに、オマーンでは、陸軍は2万名で戦車73両、海軍は3千5百人で艦船16隻、空軍は3千5百人で航空機45機、王室近衛部隊6千人である。

・13日(土)

諮問議会議員の選挙も今日のマスカット地区の選挙で幕を閉じる。地区の立候補者は3人の女性を含む10人。人口3万人を越えているマスカットにおいては、この中から4人の候補者を選ぶべく、132人の女性を含む372人が投票した。

・15日(月)

今日の新聞で、「日本の戦争責任の論評が近隣アジア諸国の怒りを買った責任をとり、桜井環境庁長官が辞任。後任は宮下氏」との記事が写真入りで載る。このような記事が出るのは、日本の大臣の交代に関心があるのではない。戦争というものにオマーンが敏感だからであろう。

日本がまもなくHー2型ロケットを打ち上げるという記事も、今日は大きく載っている。

イエメン情勢のほうは、今日付けで日本の外務省からの退避勧告が全面解除された模様。これによると、7月7日のアデン陥落後、略奪行為が横行するなど治安の悪化が見られたが、現在では警察や軍の派遣・治安によって安定してきた。電気、水道、通信、燃料等の基本的生活手段もほぼ正常化してきた。アデン空港では国内線が再開し、アデン港では通常通り業務が行なわれている、とのことである。

北イエメン地区については、既に7月28日に退避勧告は解除されているので、これでイエメン全土に退避勧告が解除されたことになる。もちろん、渡航自粛勧告は継続される。念のため。

 

美観・環境保護に先見性

・17日(水)

「第10回自治と環境月間」の準備が進められていることが、新聞に載る。これは、オマーン恒例の全国的な行事であり、各地区が環境保護を競い合い、優秀地区には国王カップと賞金が出るのである。

主管官庁は自治環境省であるが、社会労働省、文部、内務、情報、住宅、水資源、運輸、商工の各省、商工会議所、警察なども参加する大イベントである。審査基準は、7項目からなり、評点は公共の場の清掃25点、ゴミ処理15点、海浜・ファラジユ (オマ−ン独特の導水路)の清掃10点、保健教育(15点)、学校・スポーツクラブ・婦人協会の活動5点、自治体プロジェクト25点の合計百点である。

昨年の最優秀自治体にはイブリが選ばれ、国王カップと賞金9千リアル(約230万円)を獲得した。以下、ジャ−ラン・ブ・アリ、デバと続いたが、さて今年はどうなるか。この月間では個人賞も設けられている。

オマーンに来る誰でもがまず驚くのは町のきれいさであると先に書いた。実はこれには歴史がある。1970年現国王が即位され国の近代化を目指した時に、すでに環境問題は最重要課題として指示されていた。オマーンの環境に関する基本法律はほとんど1970年代につくられている。見事な先見性である。

マスカットの町をドライブしてみよう。むき出しのエア・コンデショナーは見られない。必ずおおいがされている。美観のためなのである。ある地区に入ると、建物はすべて白、それ以外にはブルーの線を入れることだけが許されている。これも美観のため、条例で決められているのだ。このようにオマーンでは美観のために細やかな心づかいがされている。家庭、学校でのしつけや行政が一体となって、美観・環境保護の心構えが個人個人に十分にインプットされているのである。

バーガーキングの第2店目が近々クルムに開店するが、このたび9人のオマーンの若者が6ケ月にわたる「ファースト・フード店での実務と経営」コースを終了。まもなく実務につくことが、報道されている。これはオマーン人化の一環であるとしているが、このように若者がサービス業で働くようになることは大変に結構なことである。

・20日(土)

本日は予言者ムハンマドの誕生日の祝日で休み。これに先立ち、先週の木曜日にカブース国王はサラーラの宮殿にて、大臣、顧問、政府高官、シェイク、著名人等ともに、預言者の生涯についての講話を聞く。

スワイニー国王代理もマスカットの宮殿にて王室関係者、政府高官、イスラム諸国大使、シェイク、著名人らと同様の講話を聞いていた。

・21日(月)

外国人クラブに関する新法が発布される。全部で38条からなるものである。

・社会労働省の事前の許可なくして、催し物 、講演、文化事業等を行ってはいけない

・クラブ内での賭事、飲酒は禁止する

・同省の承認なしにオマーン国外の組織と関 係を持ったり、これに加わってはならない

・クラブの名前の明記、目的はメンバーの社交・娯楽面の増進、メンバーはオマーン人以外、国籍を有しオマーン在住者であること、品行方正であること、クラブ規約遵守の誓約書を入れること、外国大使館員でないことなどを詳細に規定している。

私は日本における規制についての知識がないので、オマーンの今回の法律が当然のこと

なのか異常なのかは判断できない。だが、なにか特別の理由があってとられた措置ではないかと思われる。

・25日(木)

23日から始まった村山首相のフィリピン、ベトナム、マレーシア、シンガポールのアジア4ケ国歴訪の旅の様子が新聞に大きく報じられている。20日にも紹介記事が載ったが、かなり詳しい。

「今回の旅の目的は日本のメインの投資先である東南アジアとの経済的な絆を強めるものであるが、日本の戦争犯罪問題は未だ解決されておらず、村山首相にとっても最大の難問となろう。今回の旅によって戦争の傷跡の癒され具合がわかる」

「日本政府から賠償を求めている女性を守る会のフイ リピン人会長は、訪問時に日本大使館と首相の宿泊するホテルの前でデモを行なうと言っている。日本の学者によれば、戦時中の日本の侵略による民間人死者は、インドネシアで2百万人、フイ リピンで110万人、マレーシアとシンガポールで5万人に達する。日本のASEANへの投資は全海外投資額の25%、ベトナムには77億円の資金援助を行なう予定」などを詳しく報じていた。

「村山首相がラモス大統領との会談で、戦時中の慰安婦問題を反省し、何らかの措置を講じ、また日本の若者に国の過去の行動についての真実を学ばせることを約束した。ラモス大統領も村山首相の後悔と謝罪の言葉を評価した」と戦争責任問題を大きく報道している。この問題についてのオマーンの関心は高い。

髭くらべ

端から端まで1・5メートルのムスターシュを付けたトルコ人の男が写真入りで紹介される。男は1カ月で4センチずつ伸びたこの長い髭を、帽子に取りつけた特別の棒で支えてきたという。ここはアラブの国。成人はみな髭をたくわえているせいか、髭には特別に関心があるのだろうか。

 昨年も日本の髭コンクールで1位になった日本人男性が写真入りで紹介された。私は机の中に大事にしまっておいたその写真を、オマーン人訪問客の応対の際に示して、「貴方の髭とこの日本一の髭とどちらが立派?」などと、応対の潤滑油としてずいぶん利用させてもらったものである。

・27日(土)

オマーン婦人協会会長が、「協会は、今回の諮問議会議員選挙に婦人が投票だけではなく立候補をすることまで出来たことを感謝すると共に誇りに思う。まもなく議会でオマーン女性が婦人や子供の問題だけではなく、社会問題についても議論するようになるだろう」と述べた。

さらに、協会の活動について、「1970年に創立されたオマーン婦人協会は、婦人と子供の社会、文化、教育面での活動に加えて、講演、セミナー、展示等を通じて健康と衛生面の意識向上に尽くしてきた。また、ボランテイア活動として障害児の世話もしており、そのための協会の新しい建物も来年にはできあがる。オマーン女性の参加、また企業家に資金面での援助を願いたい」と述べた。

・28日(日)

イラン夫婦に関する以下の記事が掲載される。

「105歳の夫が100歳の妻をお金を銀行に貯金せずに使い果たした、として離婚を申し立てた。度の強い眼鏡をかけて耳も遠い夫は息子に助けられて出廷。『妻はもはや私の言う事は聞かない、別れたい』と述べ、妻の方も、『1カ月前までホントに仲が良かったのに突然スレ違いが出来てしまって。私ももうあの人と暮らす気持ちはないわ』と述べた。裁判官は現在判決を考慮中」とある。

夫婦にはいつ、何が起こるかわからない。くわばらくわばら。アラブでは、三下り半だけで妻を離婚することもできて男社会のようであるが、実際にはかかあ天下、奥さんは恐い。このような離婚事件には、人一倍関心があるのだろうか。

反体制運動者の逮捕の衝撃

・29日(月)

今日、以下の記事がかこみ、見出し白抜き、太字で新聞一面に載る。

「オマーン官憲、秘密組織を摘発

オマーン治安当局は、イスラムの名を使って国に暴力沙汰を起こし、オマーン国を混乱におとしいれようと企てていた秘密組織を摘発した。数週間前に発見された組織には約2百人が加担。彼等は既に逮捕、取調べ中である。取調べによって、この組織が外国の団体と組織的に、財政的につながっていたことが判明している。容疑者たちは、刑法およびシャ−リア法(イスラム法)によって裁判にかけられる」

私の勤める商工省でも、私の日本での休暇中に休暇から帰っていなければない高官がまだ役所に出てきていなかった。変だなと思っている間に、何となく事件の事が私の耳にも入った。その高官が事件に巻き込まれているらしいことを聞いた。そこで、オマーン人スタッフに「あの人はどうしたの」と尋いても「休暇中」、「高官は役所に来るのか」と尋いても「知らない」の一点ばりの答えしか返ってこなかった。非常に慎重であった。

もうこの事件が新聞に載ったのだから、と思って、改めてオマーン人スタッフ達に「あの人は何をやったの」ときいても、みんな「知らない」と言うのみ。口が堅い。ようやく一人だけが、「スチューピッド!(馬鹿な事をしたもんだ)」と舌打ちしたのが、最大のコメント。ごく身近の省の課長で理由も分からずに長欠している者がいるが、彼もこの事件に加担していたのかもしれない。

事件の内容はよく分からない。イスラムの名のもとに、外国の団体からの資金援助を受けて、オマーンの現体制の転覆を図ったのではないかと思われる。このようなことを新聞で公表するというのは、それだけ政情に自信があり、安定しているという証拠かもしれない。ただ、オマーン人たちの口の堅いのも気になる。いつものオマーン人特有の「慎み深さ」だけでもなさそうだ。いずれにしても、今後の裁判の動向が注目される。

これに巻きこまれた高官は私のごく身近にいた人。仕事もよくできて、親日的で、上はもちろん部下にも信望の厚い人であった。どうしてこんなことになったのか、狐につままれた気分である。

・30日(火)

新聞によると、来週の土曜日(9月3日)から始まる新学期の小学校入学児童の数が53、625名、(内26,295名が女性)で過去最高になるという。学校の数も33増えて932校になるという。

先生の数は全体で21、087名、内オマーン人教師は10、459名と約半数。 教科書も各学校に送付済みで、また新たにエジプト、チュニジア、インド、ヨルダン、モロッコで募集した先生たちも本日オマーンに到着し全て準備は完了している。

オマーンの教育制度は小学校6年、中学校3年、高校3年の6・3・3制で日本と同じ。就学年齢は6歳以上。その間教科書代は無料である。

カブ−ス国王が即位された1970年にあったのは男子校3校のみ、女子校はなく内陸部の町や村にクルアーンの塾があっただけであった。国王は即位された時の国民への最初の演説で教育問題を特に強調されて以来、これを最重要課題として取り組み、ここまで来たのである。

教師も初めの数年間は、ほとんどすべてがエジプト、スーダンなどの外国から雇ったアラブ人であったが、オマーン人教師の数もようやく半数にまで達している。新聞によると、今年の教師育成専門学校の入学者数は661名の女子を含む1千6百名で、総合高等学校検定試験の得点70%以上の者だけが合格したとのことである。ちなみに、1993年の合格者の正解率は60%。現在、小学校の教師数は全体で1万1269名で内オマーン人が8758名であるが、1996年までには100%オマーン人化される見通しである。