7 オマーン・ルネッサンスー近代化の原点

イエメン内戦が終結

・7月1日(金)

以下が今日の一面記事。

木曜日のモスクワにおけるロシアの仲介による休戦、早くも失敗。北軍のカチュ−シャ、ロケットがアデンを激しく攻撃。

27年間の亡命生活を終えて、アラファトPLO議長、ガザに帰還。

日本の村山新首相、保守・左派の通常ならざる連立政権の安定的な持続を誓う。

・3日(日)

今月末には、オマーン製油会社が運営するマハ印のガソリン・スタンドがマスカットに初めてオープンする。

同社はこれまで石油製品製造に従事し、ガソリン販売はシェル社とBPにより全国185のガソリン・スタンドを通して行なわれて来たが、これにより初めて販売面にも進出。 今年中には、マスカットで合計4カ所、地方都市で3〜4カ所、合計7〜8カ所のスタンドを建設する意向。

日本で気温が今年最高の32・4度を超す。東京の上野動物園の北極グマも仰向けにひっくり返っている。

(先月15日には、「屠殺場に運び込まれるために陸揚げされた620キロの牛が自分の運命を察知して東京の繁華街に逃げだした。20名の警官が40分間にわたって追跡。最後はホテルの駐車場に追いこんで捕獲した」という記事も出る)

・6日(水)

カブース国王は、日本の首相に選出された村山富市氏に祝電を送った。日本国民の繁栄と発展に尽くすよう村山首相の成功を祈る、との旨である。

昨日、内陸部のムダイビー、イブリ、イブラ、シナウに強い風と雷を伴った激しい雨が降り、ワジ(涸谷=降雨時以外には水のない河床)が氾濫。

・7日(木)

イエメンでは北軍がアデンの中心部にも激しい砲撃を加え、アデン空港もすでに制圧 したと北側は伝えている。

また、アメリカの主導で、未だ南側が支配しているアデンの地区をさらなる流血を避けるべく北に引き渡す交渉が進行中である。

諮問議会の投票日が発表される。投票は7月23日のムサンダムのカサーブを皮切り に8月8日のマスカットまでの17日間、全国59地区で行われる。

・9日(土)

北がアデンを完全に支配してイエメン内戦が終結した。

復興を援助するオマーン

情報省は先週木曜日、ビード前副大統領一行がオマーンに到着したと発表した。消息筋は、このことはイエメン共和国とその国土の統合を支持するオマーンの立場に影響を及ぼさないと述べた。

・10日(日)

ロワス情報相は、イエメンを訪問してサレハ大統領にカブース国王からの二国間関係 及び地域情勢に関する口頭でのメッセージを伝えた。

・11日(月)

オマーンはイエメンに40トンにのぼる医薬品を援助物資として送った。

・12日(火)

ロワス情報相は、「オマーン・イエメン関係は申し分なく良好で一層強化の方向に進んでいる。また自分が国王のメッセージを大統領に伝える役割を担ったのは光栄であった」と述べた。

また、「メッセージは地域の安定と国民の幸福のためのオマーン・イエメン両国の継続的な協議と対話の一環として伝えられたものである。オマーンが常に善隣外交と他国の内政不干渉の方針を貫いていることに誇りを持っている」

「南の指導者のビード氏は『オマーンで何をしているか』と大統領に尋かれた時には、彼は『今後は如何なる形にしろ政治活動は一切行なわないと宣言しているので、オマーンの内外で政治活動を行なう事はない』」とのべた。

「ビード氏とその一派がオマーンに持ち込んだ装備についても質問があったが、『これらは現在オマーン国軍が保管しており、いずれ適当な時期にイエメン側に返還する』と答 えた」等を述べた。

政府高官が「石油価格の持ち直し(3月平均価格12・35ドル/バーレル、6月は16・08ドル/バーレル)で国の財政状態は好転している」と述べた。

「今年に入っての石油価格下落は経済の多角化と石油以外の財源確保の必要性を浮き彫りにした。このためには民間部門の活性化支援、海外投資の取りこみ、若者の能力アップを必要とする」「オマーン経済は1986〜88年の不況を乗り越え、1990年以来、GDPは年率7%で伸びており、第4次5カ年計画は順調に推移している。1975年にGDPに占める非石油部門の比率は33%であったが、1993年には62%に達した。ただし、歳入に占める石油の比率は1993年にはまだ76%を占めている。政府は課税によって歳入を増やす道もあるが、政府は課税負担を低くして民間の投資、生産を活性化する方針である」

・17日(日)

村山首相が、これまでとりつづけてきた日本の自衛隊を違憲とする方針を転換した。

・19日(火)

ロワス情報相はイエメン議会一行と会談した。一行はカブース国王とオマーン政府の イエメン共和国とその国民に対する支持に謝意を述べた。

「6月17日以来、アメリカで1カ月間にわたって行なわれてきたサッカーのワール ド・カップは、17日の決勝でブラジルがイタリアをPK戦の末に3対2で破って24年ぶり4度目の優勝を果たした」こと、ワールド・カップの全成績などを今日の新聞は特集で伝えた。

(オマーンではサッカーは人気NO1のスポーツ。大会前からの紹介記事の特集で組み、大会が始まってからは全試合の結果が連日、新聞のスポーツ欄を飾った)

・21日(木)

本日、マスカット着22時20分のタイ航空507便にて休暇から戻る。空港で機外に出ると、意外に涼しい。今日の最高気温が34度、最低温度が28度というから猛暑の日本と変わらない。というより、むしろ涼しい。日本で38度、39度、ところによっては40度を越える連日の猛暑、それにあの湿気を経験してきた身には意外に爽やかなマスカットであった。

24回目のルネッサンス記念日

・23日(土)

今日はカブース国王が1970年に王位に就いて24回目のルネッサンス(復興)記念日である。

日本では大阪で世界万博が開かれた年のこの日、当時30才であった国王がサラーラの王宮内で無血クーデターによって父君より政権を奪取。鎖国政策をとり世界から取り残されていたこの国を繁栄する国へとダイナミックにつくりかえる第一歩を歩みはじめたのであった。

政権に就いた直後に国王は「よりよい未来を目指し、国民の幸せな生活を早急に実現するために私は精一杯働くのだ」と演説した。以来24年、国王はひたすら国民の幸せを願い、身を粉にして働いているのである。 今日は、その結果にもたらされた進歩と繁栄を祝い、国民が国王に感謝を捧げる日である。

「いまでも明け方にロングボデイ の黒い車を見たら国王だと思え」とオマーン人から聞いたことがある。「若い頃国王はしばしば自分で車を運転した。市民を乗せて国民の生活の実情を把握したり、また直接陳情を受けたのだ。」

揺るがぬ崇高な目的を抱き、弱冠30才から身も心も国民のために捧げて、国にこれほどの繁栄をもたらした国王。そのような他国の例を私は知らない。本日の新聞では、国王の指導力をよくある『ワイズ』(賢明な)という月並みな言葉ではなく『プラグマテック』(実務的な)という表現を使って称えていた。身を粉にされて働いている国王には実にぴったりの表現である。

オマーン最大のイベント、11月18日の建国記念日の演説でも、国王は自分の言葉で少なくとも45分間はびっしりと国民に話しかける。儀礼的な挨拶とはまったく違うのだ。その演説の間には、観衆から拍手とともに「ヒュー、ヒュー」とか「ウオ ー」とか歓声があがっている。国王に対する親近感、尊敬の念がよく伝わってくる。これもこの国王ならではのことなのであろう。

オマ−ンはパキスタンとアフリカに植民地を持ち、またマスカットにはインド洋やアラビア湾を行き交う船が水や食料補給のために立ち寄って、繁栄を誇っていた。しかし、1861年のアフリカ植民地ザンジバルの分割、また1862年の蒸気船が登場、さらに1869年のスエズ運河開通により寄港地としても価値がうしなわれた。その後内乱などによって急速に衰退し、マスカットの人口はピーク時の5万人(1856年)から5千人弱(1970年)に減少した。

1962年に内陸で石油が発見され、同67年から輸出が始まった。父君のサイ−ド国王は窮乏政策をとり、この富を国民のために使おうとしなかった。この時期のオマーン人の生活は惨めであったという。国民のほとんどは貧しく、多くの規制が生活を縛っていた。そのため国民の多くは就職・教育の機会を求めて国外に脱出する有様であった。カブース国王が王位に就いた1970年、オマーンでは舗装道路が10キロで、学校が3校たらず。国際空港・港湾は無いに等しいものであった。

カブース国王が即位されてからの24年間は、他の湾岸諸国と同じように石油生産がオマーンに経済発展をもたらした。だが、国王は慎重であった。先見の明がある国王は早くから石油のみへの依存は将来に問題を残すことを見抜いていた。そこで最初から経済の多角化を指示したのである。その結果はこれまで述べてきたとおりである。(ちなみに、1993年の石油のGDPに占める割合は38%までに下がっている)この間、国民の福祉も徐々にではあるが、着実にバランスよく増大してきた。

善隣外交、内政不干渉、国際法の遵守とアラブ・イスラム諸国の法的権利の支持を柱とするオマーンの外交方針は国際社会で広く認められてきている。今年オマーンが圧倒的多数で国連安全保障委員会の非常任理事国に選ばれたのもこのような背景があればこそである。オマーンは世界各国と外交関係を保っており、アラブ諸国とはさらなる協調、協議、地域の平和維持のための集団行動が必要であると考えている。

経済面でも、オマーンは5カ年計画に従って着実に、継続的な経済発展を遂げている。経済多角化のための一環として過去2年間を「工業の年」、また別の2年間を「農業の年」と定めてその実現に尽くしてきた。

教育面でも1970年時の学校数は3校、教員数30名。それがいまや学校数は900校、教員数は1万5千名を越えている。この面でのハイライトは、何と言っても1986年のスルタン・カブース大学の設置である。7学部を擁するこの大学はいまや誇るべき総合大学に育っている。

医療面での発展もまためざましいものがある。1970年以前オマーンには医療施設といわれるものは皆無であった。それがこの24年間に各地に建設され、いまや48の病院と90カ所の診療所を開設するまでに至っている。しかもすべて最新式の施設をととのえ、先行して発展した国々の多くを凌駕する勢いだ。

諮問議会選挙はじまる

 24回目のルネッサンス年にあたる今年はたまたま諮問議会の議員数増員の年となった。議員数が従来の59名から80名になり、しかも社会の発展に重要な役割を担う女性議員が初めて誕生するものと見られる。新議員の任期は来年からであるが、この新議員の選挙は北部のムサンダム半島のカサブを皮切りに本日から各地で行なわれる。

オマーン独自の「諮問制度」においては、国王が毎年行っておられる「ミート・ザ・ピープル」も諮問議会との両輪をなしている。国王はこの巡行を国民との直接対話の場として大切にしている。オマーンのイバード派イスラムでは、昔からイマーム(宗教、政治上の指導者)を選挙で選んできた国民である。西欧の民主主義より古い伝統をいまに引き継いでいる。

また、昨年の建国記念日での国王の演説で今年は「文化遺産の年」と定められ、伝統を誇る国の文化遺産の保存と育成が最優先目標とされている。国王はしばしば「過去を持たない国に未来はない」と言われ、記念物の保護を指示しているが、いまや国内5百を越える城や砦の内、5分の1以上がすでに修復をおえている。

本日のルネッサンス・デーを祝うため、マスカットではアルブスタン・パレス・ホテルでスワイニー国王代理主催の晩餐会が王族、大臣、顧問、次官、各国大使、シェイクその他の来賓を招いて開かれた。日本人では大使館や商社の代表者が多数招待された。政府のために働いているわれわれJICAの専門家の招待がないのは残念である。サラーラでもドファール担当大臣主催の祝賀晩餐会が知事、シェイクや来賓多数を招いて開かれた。

・25日(月)

本日、オマーン人カウンターパートにせがまれてわが初孫の写真を役所で見せる。その

反応を以下の通りFAXで送った。

「悠太朗君

ママの顔がわかるようになったかな。君の写真を見てのオマーンでの反応を連絡します。

まずは、女中のフロア、CUTE.NICE BOY!

商工省のオマーン人スタッフ、CUTE.中でも刺激的なのはワヒダで、こんなハンサムなジャパニーズがいるのならアブドラーと結婚するんじゃなかった、とのコメント。ヒルダは、ママにもパパにも似ているが、どちらかというとパパ似、と言っている。君のハンサムぶりは国際的に通用する。HEARTFELT CONGRATULATIONS!」

・26日(火)

イエメン内戦は7月7日に終結した。イエメンの国内情勢も徐々に正常化に向けて動きだしているようだ。

アメリカ系石油会社のオキシデンタル、シェブロン、イギリス系のBP、シェルなどもすでに操業を再開。アデンの製油所も今週から生産を再開している。内戦中の捕虜たちも金を支給されて、家族のもとに帰るべく休暇が与えられ、国内融和策も動きだしている。

オマーンに難を逃れて入って来ていたイエメンの人達も自国に戻り、オマーン・イエメン国境も緊張が徐々に薄れつつあるようだ。

こんな情勢下で、内戦中のオマーンの支援に対する謝意を示し、今後の2ケ国間の関係を討議するために24日から3日間オマーンを訪問していたイエメン代表団が、本日帰国した。一行はサレハ大統領の親書を携え、カブース国王にも謁見し、オマーンとの特別な関係に大いに満足して帰国した。

インドとの合弁事業

・31日(日)

新聞は昨日シャンファリ石油大臣とインドの化学・肥料大臣との間で肥料工場建設計画の覚書(MOU)に調印したと伝えている。建設予定地はスール。建設費8億ドル。製品、尿素年間140トンはすべてインドが引き取る。建設開始は1996年で3年後の1999年に完成予定。資本はオマーン鉱業会社とインド側3社との50対50の合弁。

インドの大臣の談話として「このプロジェクトは両国の経済関係で新しい時代を拓くものであり、完成後はインド側が輸出超過となっている現在の貿易不均衡の是正にも役立つ」と述べ、また「インドとオマーンは両国の地理的、文化的に近い面を活用すべきである」ことを強調したと伝えられている。

インドとはもう一つ大きなLNGの輸出プロジェクトが進行中である。 それは、1千キロ以上離れたインドに深度3千5百メートルのアラビア海を経て10億立方フィート/日の天然ガスを供給するという巨大プロジェクトである。

23日にムサンダムに始まった諮問議会議員選挙もサラーラ、ブレイミーなど各地で順調に進められている。マスカット市内の議員数2人区のボシェール地区では4名の候補者を選出したがこの内1名は女性を選出したということである。59選挙区の内、1人区の場合選挙で2名を、2人区の場合選挙で4名の候補者を選出。その中から国王が各1名、2名を指名することになる。だが、女性の選出は初めてのもので、今後各地区で増えるものと思われる。

「アメリカ女性、イスラムに帰依」との見出しで、アメリカ女性が改宗の誓いをイスラム教の大導師の前で行ったと、の記事が掲載される。イスラムへの帰依者は新聞に載るが、インド人やフイ リピン人などが多く、アメリカ人というのは珍しい。