6 イエメン内戦―猛暑の中で

・6月1日(水)

本日より、オマーンが国連安全保障理事会の議長国に就任した。新聞では、この国際的に重要なポストにつくのは「国際社会がカブース国王の方針を高く評価し、オマーンが国連の枠内での平和への顕著な努力をしてきたため」と報じているが、その通りであろう。

オマーンは紛争の平和的解決、主権の尊重と内政不干渉を貫いている。オマーンは戦争の放棄を希求し、平和なくしては発展も国民の福祉もない、と固く信じているのである。

また、経済面では、先月28日にオマーン・UAE投資会社が二国間の最初の合弁事業として設立されたことが発表された。同社は、オマーン、UAE、その他のGCC(湾岸協力機構)諸国の鉱工業、農業、観光などに関する投資を扱っている。これによってオマーンとUAEの協力関係の一層の緊密化が期待される。

さて、今日から6月。オマーンでは1年中で一番暑いとされている月である。

日本人カラオケ大会

・2日(木)

夜7時より、日本人カラオケ大会が開かれる。前回のボーリング大会に続く日本人会レクリエーション部主催の、今年2回目のイベント。場所は部長の日商岩井I所長の自宅。最新式のレーザーデイ スクのカラオケ装置を備えている。

会場に車を乗りつけると、若いレクリエーション部員が夕方とはいえまだ暑いさなかに、外で駐車の整理に汗を流している。中に入ると部員の人達が受付、組分け、選曲、飲み物のサービスなどに忙しく立ち回っていて、雰囲気を盛り上げている。

大会は第1回大会であった去年の経験をふまえて、今年は個人別に第1位、第2位と順位をつける方法をやめて、参加した男女を白組、紅組に分けて組別の優勝を争うこととした。個人賞はベスト衣装賞や応援団賞などに限った。このため、みんなが気楽に参加して楽しめる大会となり、50人以上が参加した。

自由な雰囲気で、酒も進む。司会者の歌い手紹介につづいて、顔に靴墨を塗って歌う人、和服を着て歌う人などもいる。合間に応援合戦をリードする両軍の団長に、冷やかしやゲキがとぶ。大使も一般参加者として得意の曲を披露する。カラオケは不得意で当然歌うまいと思われていた奥様たちの中にも、ご主人の応援を受けて歌いだす人がいた。

深夜にカラオケ大会は無事終了。私も古い歌ではあったが、「くちなしの花」を歌って大満足。いい気分で寝つく。ただ、優勝は私の属した白組ではなく、紅組。私も、白組の足をひっぱった部類の出場者であったかもしれない。

気温五○度を超す

・5日(日)

「昨日、マスカットの気温は午前10時に摂氏49度まであがった。これは、先週金曜日の最高温度を抜いて今年最高となった。しかし、その後北東の風が海から陸に吹いて、正午には気温は41度に、さらに4時には40度に下がった。昨日、オマーンで一番暑かったのはファフードで摂氏50度を記録した。」と新聞はかこみ記事で報じている。念のため、気温の欄も確かめると「シーブ、最高気温49度、ファフード、最高気温50度」と出ている。

4日の新聞でも、「昨3日の金曜日に気温は今年最高の摂氏45度を記録し、首都マスカットは暑さでうだった。その時刻は午前11時。今年2番目の最高温度は前日の2日に44度を記録したばかり。マスカットも暑かったが、ファフードとスールではオマーンで最高温度の48度を記録した」と報じていた。

マスカットでは、今月に入って気温がどんどん上がってきている。いくら暑い中東でも、気温が50度を超すと法律でオフィスを休みにせざるをえないので、50度を越しても発表は49度以下とするとも言われている。中東の滞在の長い私も、さすがに50度という気温を文字で見たことがなかった。摂氏50度という「印刷された文字」はめったなことではお目にかかれない。私にとっても、初めての文字である。

50度と言っても、これは百葉箱で計った温度。これで50度という時は、実際の温度は間違いなく60度ちかくはある。いや、もっとあるだろう。中東ではよく車のボンネットで卵焼きができる、と言われる。車が汚れるので私は実際に実験したことはない。だが、マスカットの日本人学校では毎年フライパンを日なたにおいて、卵焼きを作っており、今年も実験に成功したと聞いている。

中東ではイラク、クウエ ートが一番暑いといわれているが、私はマスカットに住んでみて、こちらの方が暑いように思う。周りを岩山に囲まれている地形が影響しているのではないかと思うが、いかがなものであろうか。

イギリスがマスカットに代表部を設置して2百年近くたつが、最初4代の駐在代表はすべて病気で死んでいる。マスカットの暑さの犠牲者たちである。エアコンがなければ、こういうことは今でも起こるはずである。すごい暑さなのだ。

この同じ日、オマーンで最高温度が最も低いのはジャバル・シャマスの26度、南部のサラーラ、アルハラニヤット諸島などの33度。ファフードとは24度、17度の気温差である。ジャバル・シャマスは標高3、048メートルの山頂の温度であるから当然としても、南部の33度は涼しすぎると思われるかもしれない。オマーンの気候は実に多様である。

ハジャル山脈で海岸部の沿岸地方の平野部と内陸地方に分けられている北部は高温多湿。広大な土漠が広がる中央部は典型的な砂漠気候。サラ−ラ平野を有する南部は亜熱帯気候で、年間5百ミリも雨が降り、温度も30度程度しか上がらないのである。

1992年5月、私達はオマーンの人たちとこの地方にキャンプに行ったことがある。真夏のさかりだった。その時に夜、セータ−を着こんで毛布をかぶって寝たが、朝方に寒くてたまらずにテントに潜りこんだことがあった。翌日、海に入ると、水が冷たい。涼しい理由はこれだった。つまり、空気がこの冷たい海水で冷やされているのである。

海水が冷たい理由が、また面白い。インド洋からのモンスーンによって、冷たい海の底の海水が巻きあげられるのだという。天然のクーラーができあがっているのだ。このように、オマーンの気候はいちがいには言いきれない。

それはともかく、マスカットは異常に暑い。たまたま私の今年の休暇は6月12日から始まるので、この暑い時期が避けられる。

ニズワ文化遺産村づくり

・8日(水)

1994年はオマーンでは「文化遺産の年」とされて、いろいろな関連行事が行なわれている。目玉事業としてはオマーンの宗教、教育、文化の中心であるニズワ市に文化遺産村が建設される。その概要が、今日新聞に発表された。

工事開始は今年の9月、完成は1995年末。場所はマスカット方面から行った場合にはニズワ市への入り口周辺で、広さは5万7千平方メートル。そこで3百年から4百年前のオマーンの文化、宗教的な展示が行われる。コーラン学校、伝統的なゲーム、工芸品、踊り、またオマーンの台所などの日常生活なども紹介される。これを発表した文化遺産省の顧問は「若い人びとはここを訪れて、昔の生活と今の生活の違い、先祖がどう生きてきたか、カブース国王の即位以来生活がいかに楽になったか、を知るであろう」と述べている。

なお、この遺産村には、銀細工、木彫、陶芸などの工芸トレーニング・センターが併設されるという。

カブース国王が1970年に即位してから今年で24年目。誰もがオマーンの近代化には目をみはる。確固たる政治機構、経済発展、道路、電気、水などのインフラ等等。しかし、博物館の整備、この国にある5百以上の城や砦などの修復、といった文化面の業績にも眼を見はるものがある。

だいたい「文化日本」といっているわが国で文化庁という役所は文部省の下部機構。また一般には毎年どいう仕事をやっているのかあまり見えてこない。日本は経済、経済で最近は昔より「文化日本」という言葉が聞かれなくなっている。文化を語っている政治家もとんとお見受けしない。

オマーンの場合には文化遺産省という独立した省がある。必ずしも潤沢とはいえない国の財政事情の中で、独立して立派な仕事を残している点は日本も見習う必要があるのではなかろうか。

クラッシク好きの国王

・9日(木)

「昨夜、カブース国王がアル・ブスタン・パレス・ホテルでの王立オマーン交響楽団の演奏会に出席した」「これには、多数の王族、大臣、顧問、政府高官なども出席した」と今日の新聞が写真入りで大きく報じている。

カブース国王はクラシックが好きで、しばしばブスタン・ホテルのオーデトリアムにも足を運ぶとは聞いていたが、あそこに昨夜国王が行ったのか。演奏会は切符さえ買えばわれわれでも入れる。昨夜行っていれば国王の姿を遠目にでも拝見できたかもと、ちょっと残念。

もちろん、国王はわれわれと同じ席に座る訳はなく、国王専用のロイヤル・ボックスを使う。念のため。

・10日(金)

開発省は、93年のオマーンのGDPが45・5億オマーン・リアル(約1兆1千8百億円)で昨年の44・5億オマーン・リアル(約1兆1千6百億円)に対して1・9%の伸びとなったことを発表した。

部門別には、石油部門は石油価格の低迷で前年の18・8億オマーン・リアル(約4千9百億円)から、17・7億オマーン・リアル(約4千5百億円)へ8・1%の減少となり、非石油部門は前年の25・9億オマーン・リアル(約6千7百億円)から28・3億オマーン・リアル(約7千4百億円)と9・2%の伸びとなった。この結果、GDPに占める非石油部門の割合も前年の58・0%から62・1%と初めて60%を突破した。

非石油部門では、卸・小売り業が前年の5・9億オマーン・リアル(約1千5百億円)から7・0億オマーン・リアル(約1千8百億円)の生産となり、19・9%と最大の伸びを示した。

なお、93年の石油生産は80万バーレル/日(92年は75万バーレル/日)であった。

1月1日生まれが多いわけ

・11日(土)

今日はイスラム暦の新年のための休日。実際には、昨日からイスラム暦の新しい年に入った。だが、昨日が金曜日でもともと休みなので今日はその振替え休日である。西暦の6月9日はイスラム暦の1414年ハッジ月29日、6月10日が1414年ムハラム月1日にあたる。

ちなみにイスラム暦は西暦の622年9月、預言者ムハンマドがメッカからメジナに遷都した年を元年としている。

昨日、カウンターパートのアハメッドに女児誕生。アラブでは遅い方だが、33歳になっての初めての子供でもあり、またイスラム暦の元旦生まれでもあるので大変におめでたい。アハメッド自身はイスラム暦ならぬ西暦の1月1日生まれ。日本でいえば太閤秀吉さんと同じ元旦生まれで、これまためでたい。

ただ、オマーンでは西暦1月1日生まれはちっとも珍しくない。たぶん当商工省のお役人でも6割か7割は1月1日生まれであろう。実際に1月1日に生まれたわけではないが、オマーンの近代化以前に砂漠や山の中の村で生まれたら、誕生日どころか誕生の年さえもはっきりしていない。したがって、パスポートなどのために生年月日が必要となった時に、多くの人がわかりやすい西暦の1月1日を誕生日としたからである。

私も中東と係わって20有余年。最初に中東に行ったときのカルチャーショックが、「中東は毎日が晴れで、毎日同じ景色である」こと、年を聞くと「そうだな、俺は約30歳くらいかな?」という答えがかえってくることであった。「真面目にやってよ。自分の年ぐらい、ちゃんと答えて」とも思ったが、彼らのあいまいな回答にはこういう背景があったのである。

オマーンにも世界の大多数の国と同じように戸籍は存在しない。子供が生まれた場合は、モスク(イスラムの寺院)に登録され、証明書も発行されるので、今では誕生日を1月1日とする必要はない。

・12日(日)

今日から帰国休暇。今夜午後11時59分発のタイ航空機で日本に帰る。

本来なら、この休みを利用して妻と北欧に旅行する予定であったが、次女のお産という事態で妻はすでに日本に帰国。私だけ途中で遊んでいってもよいのだが、次女の旦那のアブダビ赴任が6月19日に決まっている。そのうえ私の帰るのをまって、18日に悠太朗のお宮参りをするという。これまでにはどうしても日本に帰らざるをえない。かくして、今夜のタイ航空に乗る仕儀となった次第。これから7月21日までは、しばらくオマーンともお別れである。

砲火浴びるアデン

ところで、六月に入ってのイエメン情勢であるが、月初めに国連安全保障理事会が即時停戦と北と南両者の交渉を提案。5日のGCC外相会議でも、両者に国連提案にしたがうよう呼びかけた。国連の介入に反対であった北側も、6日午前1時よりの停戦を実施した。だが、7日にはこれがたちまちにして崩れ、戦火が再び燃え広がった。

本日現在では、優位に立つ北側が南の拠点のアデンに大砲およびタンクによる激しい砲火を浴びせているという。アデンの町は電気、水道がストップ、市民は激しい砲撃に打ち震えているもよう。私の休暇中、どんな展開になるのだろうか。

6月13日(月)から7月20日(水)までは休暇を日本で過ごしたため、この間のオマーンでの出来事は、休暇中に女中のフロアに保存させていた現地の新聞の抜粋によりお届けする。

・13日(月)

「昨年12月の国政調査の結果にもとづい て諮問議会に新たな代表制を導入する。な お、本件についてはすでにカブース国王の承認も得ている」とバドル内務大臣が発表した。具体的には以下の通り。

「今後地区は2つに分けられる。すなわち、人口3万人以上の地区からは2名の議員を 選出する。人口3万人以下の地区からは、3万人を超えるまでは、従来通り1名選出される。国内59地区のうち、マスカット、シーブ、マトラなどの首都圏地区、ソハ ール、ニズワ、スール、サラーラ等地方中心地区など21地区が2人区、他の38地区が1人区となる。候補者の選出は7月23日から8月中旬にかけて行なわれる。議員の任期は今年末から97年末までの2年間。選出には部族長、高官、名士、識者、ビジネスマンなどできるだけ多くの人びとが加わることになる。2名議員選出地区では4名の候補者、1名選出地区では2名の候補者を選び、この中から各2名、1名の議員を政府が決定する」

同大臣はさらに「これは国王の今年のミート・ザ・ピープルの時に示された人口比の代表制確立の方針に従ったものである。これによって、大地区代表議員の負担の軽減となる」とつけくわえた。

議員数は現在59地区から各1名の59名であるが、新方式では、59名プラス21名の合計80名となる。

マクブール商工大臣はルセイユ工業団地を現在の百平方メートルからさらに86区画50万平方メートルに拡張するための工事契約を本日行なった。すでに、19区画について申しこみがあった。

・19日(土)

イエメン内戦について、「国連の和平工作、失敗に終わる」との見出しが一面のトップ記事。

1日の安保理の決議にもとづいて、8日には国連特使がイエメンに入り、周辺諸国とも協議を続けてきた。昨18日には、イエメンの北と南の両当事者をカイロに呼んで停戦交渉を進める予定であったが、南は北がアデンへの攻撃をやめない限り会議には出席しないと回答。北も出欠を決めかねていて会議が成立しない。

戦況の方は、北側が引き続きアデンに対して、大砲やロケット砲で猛攻を加えており、死傷者が多数出ている。

・21日(火)

伊集院大使がスワイニー国王代理と会見。両国関係について意見交換をした。

・22日(水)

マスカット州副知事のバルガシュ殿下は以下の声明を発表した。

「マスカット州では今年の諮問議会の選挙の際、オマーン女性に男性と同じく立候補 および投票権が与えられる。これは、オマーンの歴史で初めてのことであって、オマーン女性の能力への信頼の現われであり、またわが国の発展に女性がさらに大きな役割を果たすための道を開くことになる」

高等学校総合検定試験トップは女性

24日(金)

5月28日と6月12日の間に行われた、GSSC(高等学校総合検定試験)の採点が最終段階に入っており、7月第1週には結果が明らかになるだろう、と文部省が発表した。これによると「昨年の1万2116名に対して、今年の参加者は約1万4千名、うち女子は7114名。文科系7610名、理数系6260名。

試験科目は文科系がイスラム学、数学、国語(アラビア語)、歴史、英語、地理、一般科学と現代イスラム思想の8科目。理数系は国語(アラビア語)、イスラム学、数学、英語、物理、科学、生物学の7科目

この試験に合格するには、全体で5割以上、また各科目でも5割以上の得点をとる必要がある。今までのところでは、試験の出来は昨年よりよい。

なお、今年のトップは2人の女子学生が占め、得点は6百点満点中592点、つまり正解率98・66%であった。2位も女性で、得点は98・58%。3位もやはり女性で98・50%、4位は女性と男性各1名で98・41%。

 

・25日(土)

アブドルガニ・イエメン大統領評議会メンバーがカブース国王に謁見して、イエメンの現状と他の両国間懸案事項に関するサレハ大統領のメッセージを伝えた。会見の席上、カブース国王はイエメンの同胞同士の戦争の終結を強く希望し、当事者同士が戦争を終結させるための交渉の必要性を指摘された。

 

・26日(日)

昨日、日本の羽田総理大臣が辞任した。と、総選挙を選ぶ道もあったが、羽田総理は内閣不信任案で敗れるより内閣総辞職を選んだ」と新聞は一面で報じた。また、二面と三面に羽田総理のプロフイール、日本の政治の流れについての解説記事が大きく載る。

 

電気事業で初の民間プロジェクト

・27日(月)

政府は「総額8千2百万オマーン・リアル約210億円)のマナ発電所建設契約に署名した。この発電所はすべて民間によって建設、所有、運転される」と発表した。

出力90メガワットの発電所は、オマーンの4社とベルギーの3社合弁のUnited Energy Companyが所有、運転し20年後に政府に引き渡される。また、40%の株式はオマーン人およびGCC国民に売り出される。

発電所の完成は二年後で、イズキ、ニズワ、バハラ地区の需要を満たし、余りは186キロ離れたルセイル工業団地に供給される。これは民間によって建設、所有、運転されるオマーンで最初のプロジェクトである。政府は民間部門に多大の信頼をおいており、今後、同種のプロジェクトが数多く民間に割りあてられるであろう」と発表した。

・29日(火)

勃発後2カ月近くになる内戦は、停戦の呼びかけにもかかわらず一層激化している。北軍は日曜日にはアデン市の水道設備を破壊、製油所への道路も封鎖。本日の空爆により、アデン製油所が黒煙を上げて激しく炎上している。